中野新橋

中野新橋にかつて遊郭があったということについてちょっと調べていたのだが、銭湯で中野区のハザードマップが貼ってあって、それを見ると、かつての神田川は相当屈曲していたように思えるし、また、今の中野新橋駅当たりはけっこう広い沼だったのではないかと思えてくる。つまり、江戸時代か明治の頃には神田川はもっと風光明媚な土地で、それで川沿いに遊郭が並んだのではないか、とまずは想像してみたのだった。

ところが今、中野区がネットで公開しているハザードマップでは、そうした神田川の原風景というものはよくわからない。東京の標高地図を見てもやはりよくわからない。江戸時代、中野区辺りは郊外の田舎に過ぎず、古地図などというものもなく、当時どんなふうだったか調べようもない。

それで今昔マップというものをみるに、明治時代の神田川はそんなに屈曲していたわけでもなく、淀や渓谷らしきものもない。神田川はかなり早い時期(江戸時代?)に河川をまっすぐにする工事が施されていたらしい。

明治の地図では、中野新橋駅あたりは全部田んぼだ。根河原というあたりに多少家が建っていたらしいが、花街という雰囲気ではない。しかも昭和に入ると神田川の川筋は今と同じようにまっすぐに改修されている。いつから花街があったかしらないが、風光明媚な地だったから花街ができたというわけではなさそうなのである。

新橋にあやかったのか、橋の名前が由来か—中野の花街という記事があってこれでだいたいのことはわかった。中野区立図書館に行くと、『開花中新半世紀』という本があってこれに中野新橋の花街の由来が書かれて、関東大震災で都心の花街が田んぼしかなかった中野新橋に移転した、ということらしい。なんだ、中野新橋の花街といってもせいぜい昭和より後の歴史しかなかったわけだ。調べて損した。

国会図書館デジタルコレクションにある『中野区民生活史 第2巻』『大東京年誌』にも若干の記事がある。関東大震災後に、中野区では新井薬師と、やや遅れて中野町新橋に花街ができた。昭和6年6月時点で中野本郷(中野新橋)には芸妓屋が17軒、芸妓が39人いたとある。ちなみに同じ時、八王子には芸妓屋が38軒、芸妓が122人、町田には芸妓屋が6軒、芸妓が13人いたそうである。八王子というところはもともと甲州街道の宿場町で相当大きな花街があったようで、つい最近まで(今も?)ソープランドが街中に点在していた。しかしながら今は八王子よりもむしろ町田のほうが、JR横浜線と小田急線の乗換駅であるせいか、人の往来が多く町も栄えているようにみえる。

ヒストリエ難民

ヒストリエ新刊というものをこないだ書いたのだが、驚くべきことに『エウメネス』もまだ少しずつ売れ続けている。思うに、ヒストリエの新刊を待っていればいつかはイッソスの戦いやガウガメラの戦いまで著者が描いてくれるだろうと、漠然と思っていたが、どうやらそんなことはありそうもない、ということに多くの読者が気づいてしまった。そこでどうしても続きが知りたい(というより、ウィキペディアかなにかで調べるのではなく、なにか小説仕立てにされた作品の形で読みたい)という人が『エウメネス』を読んでいるのだろう。

『エウメネス』はもともと『エウメネス1』で完結する話だった。たぶんどこかの新人賞に応募したと思う。それきりのはずだったが、私が書いた小説の中ではなぜか『エウメネス』だけがよく売れ、また続編が読みたいというレビューもあったので、では書いてみようかという気になった。もちろん『ヒストリエ』の読者の一部が『エウメネス』を見つけて読んでいたのだった。

『エウメネス1』はマケドニアから最も遠ざかったインド遠征の話。『エウメネス2』は時間を遠征開始まで巻き戻してグラニコスの戦いまで。『エウメネス3』はイッソスの戦い。アレクサンドロスはなぜペルシャ王を追ってペルシャ奥地に行かず、エジプトに向かったのか、その謎解きを自分なりにやった。グラニコス、イッソスをつなげて書くという作業の過程でいろんな疑問が湧いてくる。できるだけ史実に沿うように書いたが、史実がない箇所はフィクションで補うしかない。フィクションを「つなぎ」代わりにしてボリュームを出し、小説として面白おかしく書かなきゃいけないんだってことに気づいた。

『エウメネス4』はカッサンドロスによるメガロポリスの戦いがメインで、たぶんこの話を小説にした人はこれまでに私くらいしかいないと思う。メガロポリスの戦いを指揮したのは当然アンティパトロスだが、実は彼の息子のカッサンドロスが大活躍したのだ、という筋書きだ。かつ、エウメネスがハルパロスの仕事を引き継いでオリュンピアスに会いに行く、という話も盛った。オリュンピアスは魔女とか極悪人として描かれることが多いのだが、そうはしたくなかった。

だんだんとフィクションを盛り込むようにした。『エウメネス5』では当然ガウガメラの戦いを描かなくてはならないのだが、私なりに極力、ペルシャ帝国の都にして、当時世界最大の街バビュロンを描写してみようと思った。これには当然めちゃめちゃ手間がかかった。そしてエウメネスはガウガメラの時はメガロポリスにいたので、直接ガウガメラは体験しておらず、ガウガメラが初陣のセレウコスに語らせる、という形をとった。

で、ガウガメラの後からインド遠征を書いた『エウメネス1』まではたぶん誰も面白がらないからざくっと省略し、当初の予定どおり、スーサ合同結婚式まででこの話を終わらせた。

普通なら、アレクサンドロスが暗殺されるところまで書くのではないかと思うが、そこはわざわざ私が書くまでもないと思い、余韻をもたせるために手前で終わらせた。アレクサンドロスがなぜ暗殺された、なぜディアドコイ戦争の勝者がセレウコスとプトレマイオスだったのかということを、スーサまでの出来事で示唆したつもりだ。

『エウメネス6』は時系列的に『エウメネス1』に続いている。時系列に並べると 2 → 3 → 4 → 5 → 1 → 6 となる。わかりにくいかとは思ったが、並べ替えずにいる。まず 1 を読んでみて、おもしろければ改めて 2 から順に読んでいくのが自然だろうとも思っている。6 は無理やりすべての伏線を回収し、フィクションで膨らませてあるのだが、とりあえず完結させてみたもののまだまだ説明的でディテイルの書き込みが足りてないと思う。スターウォーズも 4 → 5 → 6 → 1 → 2 → 3 → 7 → 8 → 9 の順だし、パルプフィクションだって時系列はバラバラだが特に何か説明されているわけではなくそのまんまつないであるだけだ。

エウメネスが主人公なのだから、ディアドコイ戦争でエウメネスが戦死するところまで書く、ということもできるはずだが、たぶんそんな面白くないし、アレクサンドロスだけでもたいへんなのにディアドコイ戦争まで書くのは個人の力では無理だろうと思う。ただ、セレウコスとチャンドラグプタの戦いは書いてみたかった(絶対ムリだが。それにたぶん誰も興味ない)。

アマストリーという王女は面白い人で、この人をサブキャラにしたててディアドコイ戦争を描こうという誘惑もあったが、やめておいた。ラオクシュナやバルシネも面白い人ではあるがアマストリーほどではないと思うが、アマストリーにはほとんど知名度が無い。クラテロスと結婚させられてすぐ離縁された人、みたいな扱いだ。

アルトニスもほとんど知られていないが、アルタバゾスの娘でエウメネスの妻となった人なのでかなり細かく設定して書いた。ある意味エウメネスはアルトニスによってああいう人になったともいえる。さらにこんなにアルトニスを深堀りして書いた人も私以外にはいるまいと思う。

2の冒頭はわざと異世界転生っぽく書いてある。5の冒頭はまだ見たことのないバビュロンの夢をバビュロンに行く前にあらかじめ見たという設定。2も5も予知夢というか、ストーリーをあらかじめうっすら暗示させ提示しておくために夢を使っている(一種の伏線ともいえる)。夢落ちは好きではないが、夢から覚めるところから始まるのは嫌いではない。

読まれると手直ししたくなるのだが、その時間も今はほとんどとれない。

アメリカはサブプライムローンを飼いならしたのか

アメリカは貧乏人を借金漬けにする国だが、一方で金持ちはますます金を転がして資産を増やしていく。貧富の差は拡大するが、それを放置しても、サブプライムローンのような混乱が起きず、うまく制御できていれば問題ない、という開き直りが最近のアメリカのインフレ、高金利にはあるように思える。

日本はかつてバブルをクラッシュさせ、ハードランディングさせた。中国も今そうなりつつある。しかしバブルをうまくコントロールできれば、せいぜいソフトランディングくらいに制御できれば、バブルはそれなりに有効であるともいえる。

貧乏人がクレジットローンや住宅ローンを払えず破綻して、銀行がいくつかつぶれても、アメリカ経済そのものに打撃を与えなければ、どんどんずぶずぶに借金漬けにしてしまえという資本主義的スーパーエゴがまかりとおっている。貧乏人がいくら増えても金持ちがそれ以上に国を富ませれば国はつぶれないという国家戦略。それが天罰を受けるか、それとも安定飛行を今後も続けるのか。下り坂を倒れずに走り続ける方法があるのかどうか。

日本の株が買われているのはインバウンドと同じで円安だからだろう。まあそこそこ景気も良いし。だが私としては上がってくれたらナンピン買いしすぎた分を売ってしばらく様子をみたい。アメリカ大統領選挙後に何がおきるかみものだ。

法皇

以前書いた逆転の日本史を読んでいて思ったのだが、確かに霊元上皇以後、法皇という称号は使われなくなった。出家した上皇はいたはずだが、法皇を称さなくなった。

法皇一覧など調べてもなかなか出てこない。

霊元院を霊元法皇ということはあったのかもしれないが、あまり使われなかったように思えるし、後水尾院を後水尾法皇という例もほとんどないようにおもえる。

これはやはり家康以来、徳川幕府が仏教が大好きで、仏教に何かと口出ししたがったからだろうと思う。法皇というと日本仏教界の頂点に天皇が君臨しているようにみえるが、沢庵和尚の紫衣事件などみるに、宗教上の権威に対して徳川は異様に敏感だった。幕府や老中、摂家の頭越しに上皇が僧侶に称号や特権を与えることを嫌った。幕府がというより、摂家にそれだけの権力があったせいではなかろうかと思える。徳川宗家が浄土宗を保護し、浄土宗がやたらと力をもったせいもあるかもしれない。

あとやはり、法皇というと白河院や後白河院を連想するので摂家は嫌がったのだろう。

選挙の効用

選挙は予想通りの結果となりみんないちいち落胆したり驚いたりしているのだが、どうしてみんなそんなに選挙というものに期待できるのだろうか。どうして毎度毎度裏切られることができるのだろうか。いつも同じことの繰り返しではないか。なぜいつもそんな無邪気に信じられるのだろうか。2500年前、古代ギリシャの時代から第二次大戦後の現代にいたるまで、選挙などというものは大して機能してこなかった。

おそらくこれは、教育機関やテレビなどからしつこく繰り返し繰り返し、選挙は正しいものであると刷り込まれているからそう思い込んでいるだけではなかろうか。

選挙はしかし、選挙以外のもの、つまり暴動とか革命とか戦争とか、或いは独裁に比べればずっとましであるのは明らかであって、人々が唯々諾々と選挙結果に従っておとなしくしている日本では、的確な首長を選ぶという以外の目的、つまり治安とか安定した政局を維持するということにはほぼ適合した手法になっているのである。人々は選挙をやりましたという事実で牙を抜かれておとなしくなってしまう。誰も国会前や都庁前に座り込んだりしない。銀座をデモ行進したり、ましてスーパーを襲撃して略奪などしない。これがほとんど唯一の選挙の効用というものであろう。

なぜいちいち投票率を気にするのか。不思議でならない。これも刷り込みによるのだろう。投票率が高かろうが低かろうが、泡沫候補が多かろうが、選挙ポスターがふざけていてやぶくやつがいようが、ともかくも首長を選んで誰もが一応納得して政治を委任している状態、これを選挙以外で実現することは不可能なのであって、また今回選ばれた以上の首長を選ぶ具体的なメソッドが現在の我々にないのであれば、もうこれであきらめるしかないのだろう。さまざまな慣習や既得権益が現状を安定解にしてしまい、身動きとれなくしている。

西欧諸国はたいてい、国王が議会を招集して、その議会で選挙を行うというものだった。神聖ローマ帝国でも皇帝は選挙で選ばれることになっていた。ローマ教皇も選挙で選ばれていた。ヨーロッパ人にとって選挙というものは1000年以上の習い性になっていて、たぶんそれ以外の発想は彼らからは出てこないのだ。そして国王なり領主なり血族というものがある種のスタビライザーになっていて、選挙の暴走を抑えていた。そのノウハウはアメリカ式大統領制にもおそらく、表面にははっきり見えない形で引き継がれている。選挙だけで機能しているわけではないはずだ。

今の民主主義というものは西欧式の民主主義が下敷きになっており、その試行錯誤と実績の上に成り立っているので、じゃあほかのやり方を採ろうとしてもなかなか代替案は出てこないし、やったとしてもたぶんうまくいかない。東洋式を捨てて西洋式を取り入れた日本人もなんとなく西洋式を信用してそれで今までなんとかやってきたので、このままでいいんだろうと信じ切っているが、よく考えればおかしなことばかりだ。

世の中はなんでもかんでも最適化すればよいわけではなく、多少無駄なこともなくてはならないのだろうが、いまの首長選挙はあまりにもひどすぎではないか。あんなものが機能しているとはとても思えない。

私も昔は、室町時代は暗黒時代で、政治システムが機能してなくて、世の中が乱れで戦国時代になったんだと思っていたが、しかし社会的インフラがほとんどまったくなかった当時の戦争というものは今の公共事業のようなもので、戦争によって政府ができ、道ができ、農地が開拓され、産業が振興されたのだから、人民に利益がなかったはずがない。当時民主制というものさえなかったとしても、社会が動き作られていく過程で、それなりに優秀な人材が必要とされ、国政に登用されていた。今と比べてほんとうに昔が劣っていて今が優れているといえるだろうか。少なくとも今の首長選挙を見ていると、どっちがどっちということはできないと思う。

ところで今回、都知事選で石丸伸二なる人物が2位になったが、これは石丸氏に人気があったというよりも、小池氏と蓮舫氏があまりにもキモいので、この2人以外の誰に入れようかという選択に迫られたときに、石丸氏がもともと安芸高田市の市長経験者で、そこそこまともな人に見え、またメディアでも比較的紹介されたから彼に消去法で票が集まったに過ぎないと思っている。つまり彼でなくとも彼に似た属性の人がいればその人にある一定の票が流れたということではなかろうか。20代や30代の人たちに彼が人気だったというわけではあるまい。一方で年寄りは基本左翼好きだから蓮舫に票が集まり、また年寄りは基本的に人間を見る目がないので小池氏に投票し、結果的に、人間は基本的に人を見る目がなくメディアに左右されるので小池氏が勝利したということだろう。

思うに生物学的に言えば、人類が選挙ということを行うのは、類人猿がハーレムを形成する、つまり集団がリーダーを選出するという性質を持っていることからきているのだろう。ハーレムを作る動物はいくつもあるが、古代においてはこれは王政という形をとった。それが選挙という、やや形を変えた人気投票によって代替されたということなのだろう。人類が集団の中から指導者を選ぶ性質の生き物であるとして、それはそれで仕方ないとして、では選挙とはその最適解なのだろうか。そこにはもう少し考える余地があるはずだ。

共同幻想

共同幻想は吉本隆明が言い出した言葉だとウィキペディアには書いてあってへえそうなのかと思った。吉本隆明は国家や企業や組合や教団なども共同幻想と言っていて、それってつまり、人間社会はなんでもかんでも共同幻想と言っているだけではないか。

世の中は、選挙をやればやらないよりは良くなる、選挙も投票率が高ければ高いほどよくなると、みんな思っているようだが、これこそは共同幻想ではなかろうか。共同幻想という言葉が本来の使われ方と違うというのであれば集団幻想などと言い換えてもよい。

たしかに投票率が高いほど、民意をより正確に反映したものにはなるかもしれない。しかしそれによってよりよい指導者、為政者が選ばれるという根拠は何もない。そもそも選挙によって、とりわけ直接選挙によって選ばれた指導者が独裁者になったり暴君になった例はいくらでもあるし、陶片追放によってすぐれた指導者が失脚した例も多い。直接選挙は優れているとか、投票率が高いことは優れているとみんな思い込んでいるだけなのではないか。

武家よりも公家のほうが歌を詠むのがうまいというのもまた共同幻想にすぎない。ただたんに雰囲気でみんなそう思っているだけだ。小倉百人一首に採られた歌人は歌がうまいというのも同じ。

コロナ騒ぎのことを共同幻想という人もいるようだ。まあそうかもしれない。

家隆による土御門院への合点

藤原家隆が土御門院の歌に合点(ごうてん)(判定)した珍しい例がある(『歴代御製集2』)。承久3(1221)年というからまさに承久の乱が起きたその年に詠まれている。

(はる)()(はつ)()(まつ)(わか)()より さし()千代(ちよ)(かげ)()えけり

子の日の歌には一句一字おろかならず候、但さりとては此の中には可爲御地候歟(おんぢとなすべくそうろうか)

一字一句おろそかにしていないのは良いが、他の歌と比べると普通だと言っている。十首などまとめて詠んだ歌のうち優れているものを「文の歌」と言い、劣っているわけではないが引き立て役になっているものを「地の歌」と言うようだ。

伊勢(いせ)(うみ)の あまのはらなる (あさ)(がすみ) そらに(しほ)()く けぶりとぞみる

余勢、姿、心巧みに無申限候歟(まをすかぎりなくそうろうか)

勢いも、姿も、心も巧みで、申し分ありません。

(きり)にむせぶ (やま)のうぐひす ()でやらで (ふもと)(はる)(まよ)ふころかな

山のうぐひすの心、(もっと)もよろしく候

「霧にむせぶ」が字余りだが、心がこもっていて良い、ということか。こんな石原裕次郎が歌う歌謡曲みたいなフレーズを土御門院が使っていたとはちょっと意外だ。

しろたへの (そで)にまがひて ()(ゆき)()えぬ野原(のはら)若菜(わかな)をぞ()

麗しく、一句無難優美に候

麗しく、無難で優美だと言っている。

堂上公家による和歌指南というものは、明治に至るまでこんなようなものだったのだろう。善し悪しは直接言わず、悪いときは地の歌だと言ったり、姿が悪いときは心が良いとだけ指摘したりする。

リファイナンス

アメリカ人の借金借金、などでもすでに書いたのだが、借り換えのことを一般的にはリファイナンスと言い、聞こえはかっこいいが、かなりやばいもののようだ。

住宅ローンを都市銀行なんかから借りるときには審査が厳しくてなかなか借りられないのだろうが、デビットカードやクレジットカードの借金を住宅ローンにまとめるというリファイナンスを日本でもやってる業者がなくはないらしい。つまり住宅ローンを街金や消費者金融のところから借りているということだと思うが、それはそれでそれなりの金利を取られるのだろう。

好景気で、金融緩和で、利子が低く、かつ不動産価格が値上がりし続けていればこのリファイナンスというもので借金をすればするほど、借り換えをすればするほどに儲かるという異常事態がアメリカには15年ばかり前から現れていたらしい。

リファイナンス自体は、条件さえ整っていれば有効な手段だと思うが、状況が変化するとかなりやばいトラップ。サブプライムローンと同じ。

アメリカは今も金融緩和し続けている。これは政府がそうしようと思いさえすればできることなので、今後も続けるつもりかもしれないが、金利は上がったまま下がらないし、不動産価格は商業不動産から下がり始めている。

中国のバブルがはじけたのは明白になったし、アメリカ大統領選挙が終わったあたりに大きなリセッションがくる可能性はかなり高いと思う。なので私もできるだけ株は安くで買い、買うとしても必要なナンピン買いだけして、利益の出るうちに売れるものは売っておこうと思っている。売っといて、安くなったときに買いなおせばよい、と思っている。売ったあとに値上がりしてしまったなと思うこともあるわけだが。

借金

銀行口座を開設しようとしたり、クレジットカードを作ろうとするといろいろ個人情報を聞かれる。まあそれはいいんだけど、そのとき、今借金はありますか、ただし住宅ローンは除くっていう質問があって、ははあ、住宅ローンは普通の人でも借りる健全なローンだと一応世の中ではみなされているのだなということがわかる。

しかしアメリカではクレジットカードの支払いが滞った人の借金を住宅ローンに組み込んで、一見借金がなくなったみたいにするのが流行ってるらしい。これをやり始めたら、借金をいくらしても大丈夫みたいに錯覚するのじゃあるまいか。これでまた、サブプライムローンみたいに破綻したら、世の中にはもはや、健全でまともなローンなど何もない、ということになるだろう。アメリカはその行きつくところまで突っ走っているように見える。

円安のせいか今日は株が上がってる。

アメリカは金利をどんどん上げて、インフレもどんどん進んで、ドルがどんどんあがっている。金利を上げるということは、預金が増える要因にもなるが借りている人の借金がどんどん膨らむということだ。アメリカの銀行は破綻までの時間を先延ばしにしているようにしか見えない。

アメリカの預金者は保護されるかもしれないが、日本の投資機関は守られないから、そろそろ日本のいろんなところがアメリカから投資を引き上げるという話もある。アメリカにはまだ全然余力があるからどうせまたもとにもどるんだろうけど、大きな混乱が近い将来くるのは間違いあるまい。そうしたとき資産家は何年か辛抱すればよいのだろうが、貧乏人はますます増える。それでもなおアメリカにやってくる移民は止まらない。地獄だな。

ヒストリエ新刊

『エウメネス』が急に売れ始めたので何かと思い調べてみたら、五年ぶりくらいに『ヒストリエ』の新刊が出たらしい。

『ヒストリエ』と『エウメネス』は主人公がエウメネスというだけで中身はまったく違うものであり、『エウメネス』を書いたとき私はすでに『ヒストリエ』の存在はなんとなく知っていたかと思うが、主人公がエウメネスとは知らなかった。もし知っていたらエウメネスを主人公にすることはなかったと思う。何度もここに書いていることだが、最初は「megas basileus (大王)」というタイトルで、当初エウメネス役の名はニコクラテスという名であった。ニコクラテスはアレクサンドロスの東征とは何の関係もない架空の人物でただひたすらアレクサンドロスを観察する役回りでしかも最初は一人称でもなかった。完全な脇役としてでてくる。良く覚えていないが、ニコクラテスという名はアテナイのアルコン(名親執政官)にいるらしいので、それで適当に見繕ったのだと思う。エウメネスを主人公にしたのは、書記官という立場が私には描きやすかったからだ。一人称にしたのは、そのほうが書きやすかったから。というか、最初の頃は三人称の小説も書いていたのだが、だんだんに一人称のものばかりになっていったのだけど、それはまずもって、一人称のほうが没入感が高いからだ。

エウメネスは一人称だが、本当の主役はアレクサンドロス。読者をエウメネスに感情移入させて、エウメネスの視点からアレクサンドロスを観察させる、という意図でそうなっている。ただしただの地味な書記官に感情移入する読者は少ないと思う。王自身とか剣術使いなどを主人公にしたほうが入り込める読者は多いのだろうが、しょうがないことに私はあまり読者のことを考えて小説を書いていない。自分が面白いように書いている。

だがだんだん長編になってくると一人称のエウメネスのことをいろいろ書くようになって、結局エウメネスが主人公になってしまったのだが。

私が書きたかったのは、大王とはどんな人か、ということだった。だからアレクサンドロスを描いた。アレクサンドロスを観察して分析する主体としてエウメネスという学者がいる。王とは何か、どう考えてどう行動する人かということを考えるというのがこの話の趣旨だ。

トゥキディデスは将軍であると同時に本人がたぐいまれに優れた歴史家であった。クセノフォンもおそろしく優れた戦術家であると同時にトゥキディデスに劣らぬ優れた歴史家であった。しかしながら、当然のことながら、アレクサンドロスは著述家ではない。プトレマイオスはかなり詳しい伝記を残しているらしい(読んだことはないが。おそらくアッリアノスの書いたものの中に断片的に残っているのだろう)。もしアレクサンドロスの側近に優れた著述家がいてくれたら、という私個人の願望がエウメネスというキャラクターを生んだのである。

ちなみにトゥキディデスとクセノフォンについてもわりとしつこく書いた箇所があるから見つけて読んでみてほしい。

小説を書くためにいろいろ調べていくうち、だんだんと興味はセレウコスに移ってきた。セレウコスこそはディアドコイ戦争の最終的な勝利者であり、アレクサンドロスの継承者であり、ローマに滅ぼされるまで続くセレウコス朝を建てたほんものの王者である。

セレウコスは1, 2, 3巻には出てこない。後から1にも書き足したが、4, 5, 6に出てくるキャラである。後半4, 5, 6は私が勝手に書いた創作の要素が多い。かといって前半に少ないというわけではない。4, 5, 6 を書くにあたってさかのぼって1, 2, 3 に伏線を仕込んだりしたからだ。

セレウコスはプトレマイオスの従弟で、ガウガメラから参戦した、オレスティスの若い領主、という設定になっているが、おそらくほぼ史実に沿っていると思う。セレウコスに関する記録や史料はほとんどなく、フィクションで描かなくてはならない部分が多い。

アレクサンドロスには逆に逸話が多すぎる。プルタルコスなんてみんなでまかせの嘘っぱちだ。セレウコスには華やかさはないが優れた治世者だったのは間違いあるまいと思う。セレウコスが再びインド遠征してチャンドラグプタと和約を結んだなんて話はとても面白いのだが、なぜかそういう話を面白がる人は世間には皆無だ。ヨーロッパにもいなかったし当然日本にもいない。

セレウコスの父はアンティオコス。アンティオコスの名はセレウコスが建設したアンティオキアという町の名に残る。セレウコスが作った都セレウキアは今はバグダードと呼ばれている。セレウコスの妻アパマの名をとったアパメアという町も昔はあった。

セレウコスとプトレマイオスが親戚だったことはほぼ間違いない。なぜならセレウコスとかプトレマイオスという名の人物はオレスティスに何人もいて、セレウコスの子がプトレマイオスという名のケースが見られるからである。ギリシャ人は父、祖父、もしくは叔父の名を息子につけることが多かった。しかし自分の名を子につけることはない。

『エウメネス』ではプトレマイオスの父ラゴスと、セレウコスの父アンティオコスは兄弟で、二人ともアロロスのプトレマイオスの子という設定になっている。アロロスのプトレマイオスはペルディッカス三世の摂政で、あった。

これも何度も書いていることだが、このいとこどうしのセレウコスとプトレマイオス朝エジプトの始祖となったプトレマイオスがディアドコイ戦争の真の勝利者である。シリアをセレウコスが治め、エジプトをプトレマイオスが治め、おそらく両者は同盟関係にあった。

ディアドコイ戦争ではアンティゴノスやアンティパトロスやカッサンドロスが注目されることが多いのだが彼らはみなギリシャ残留組であって、アレクサンドロスの後継者でもなんでもない、ただギリシャ本土で彼らの事績が残りやすかったというだけのことだ。西洋史観ではそのあとはすぐにローマ共和国につながっていて、日本人にもその視点しかない。このことがアレクサンドロスの偉業を、西アジアの歴史を非常に見えにくくしている。

ついでに『ヒストリエ』のことを書くと、エウメネスの扱いはまああれでよいとして、アレクサンドロスが予知能力者で、ヘファイスティオンはアレクサンドロスのドッペルゲンガーということになっていて、アレクサンドロスによく似た顔つきの男というのがほかにもでてくるが、これでは歴史を描きようがないと思う。オカルトかファンタジーか。ダンテの『神曲』みたいなものにはなるかもしれないが、いわゆる歴史小説にはなりようがない。そこが『ナポレオン 獅子の時代』とは全然違う。

『ヒストリエ』はいまだにカイロネイアの戦いとかフィリッポス暗殺、アレクサンドロス即位あたりを描いているようだが、そういうマケドニアのローカルな歴史をなぞっている分にはよかろうが、そこから先どうやって世界史につなげていくのか。たぶん作者もまったく見当つかない状態ではなかろうか。

私はやはり、アレクサンドロスとは、ヨーロッパからアジア、インドにいたる、壮大な世界史を描くことに意味があると思っている。ギリシャのちまちました歴史には、興味がないわけじゃないが、インドやペルシャやエジプト、バビュロンやスーサ、ソグドやサマルカンドの話をまんべんなくやらなくてはアレクサンドロスを描く意味がないと思う。

『エウメネス』は最初の1, 2, 3 はほぼ史実通りに書いた。4, 5, 6はかなり脚色した。架空の人物もかなりいるし、史実が残ってないので空想で補わざるを得ないところは作者の特権として好き勝手書いた。しかしながら一応史実を私なりにできるだけ忠実に復元しようと思って書いた。オカルト的要素は(古代史なので皆無ではないが)まったく交えず書いている。そういうものを入れてしまうとなんでもありになってしまい、歴史考察以外の何かになってしまう。

エウメネスがアリストテレスの後継で、アリストテレスはヘルミアスの、ヘルミアスはエウブロスの後継で、ヘルミアスは失脚して、エウブロスの後をメントルが継ぐ。メントルはバルシネと結婚し、バルシネの父アルタバゾスから提督の地位を引き継ぐ。メントルはが死ぬとバルシネはメントルの弟メムノンと再婚する。メムノンが死ぬとアルタバゾスの子ファルナバゾスが継ぐ。ファルナバゾスの後はバルシネの娘と結婚したネアルコスが継ぐ。こうした中で、エウメネスも、アルタバゾスの娘アルトニスと結婚することで、アルタバゾスの閨閥に組み込まれていく、という非常にややこしい話を『エウメネス』ではしているのだが、これも読者が読みたいだろうから書いているのではなく、私が書きたいから書いている。このややこしい話をどう小説に仕立てるのか。ほんとに仕立てられるのか。単なる史実の羅列ではなく面白い読み物に仕立てられるのか。そもそもこんなややこしい話を理解できる読者がいるのか、作者ですら理解できないのに。まあしかしやれるところまでやってみるか。というところが私が今もこの話をリライトし続けている動機といえる。もちろんある程度読まれているからこそリライトしようという意欲もわいてくるのだが。それがたとえ『ヒストリエ』のついでに読まれているとしても。そのうちいつか私の書いたものを単独で面白がる人が現れるかもしれない。

しかし今のところそんな人はほんの数人しかいないことはわかっている。もし私の小説が面白いと思うなら私が書いた『エウメネス』以外の小説も読んでくれるだろうから。しかしそんな人はめったにいない。

エウメネスは「カルディアのエウメネス」と呼ばれるが、実はカルディアの領主だったかもしれない。だとすると、トラキア人かフリュギア人の一領主で、マケドニアがトラキアを征服していく過程で、マケドニアの家臣の一人となり、人質となってペッラに送られ、ミエザで学問を学んで、書記官になった。というのが一番あり得そうな話だ。カルディアはアテナイやスパルタの領地になったこともある。だがそうした場合、本国から執政官が送り込まれるから、その人がカルディアのエウメネスなどと呼ばれるはずがない、と思う。地名を冠するのは領主だからだろう。

ただヘルミアスの例のように、ペルシャでは庶民や奴隷が僭主となることは普通にあったから、エウメネスもそうしたたぐいの庶民であった可能性も全然あるわけである。もしかするとエウメネスは最初からヘルミアスの部下で、カルディアは出身地でもなんでもなく、ヘルミアスにカルディアの統治を任されただけかもしれない。

セレウコスは 358BCくらいに生まれたとされる。アレクサンドロスは356BC生まれなので3才くらい年上ということになる。しかし『エウメネス』ではセレウコスはもっと若く、ガウガメラの戦い(331BC)が初陣でこのとき15才、つまり346BC生まれという設定になっている。セレウコスは 281BC に親戚のプトレマイオス・ケレウノスに暗殺された。また『エウメネス』ではアンティオコスはカイロネイアの戦い(338BC)で死んだことになっているがそういう記録はない。

セレウコスが言われているよりもずっと若いのではないかと私が思ったのは、彼の名が歴史に登場するのがインドに入った後からだ。セレウコスはおそらく身内のプトレマイオス勢の中にいたのだろう。ディアドコイの中では影が薄いなどと言われているのは参戦が遅れた、つまりまだ若すぎたからではないか。

クレイトスやパルメニオンなど、フィリッポス2世の頃からいた旧臣を第1世代、アレクサンドロスと同い年くらい、つまり東征開始時に20才くらいだった連中を第2世代とすると、カッサンドロスやセレウコスは第3世代という具合に、かなり年齢差があるように思われる。

おそらくセレウコスは、人民に慕われるタイプの、やたらと派手な戦争をするのではなく、調整型の君主であった。父や妻の名を冠した都市をいくつも建設したのも同じ理由だろう。家族を大事にし、領民を大事にする。それゆえに自然と人望が集まり、アレクサンドロスの、そしてペルシャの旧領を回収することができたのだろう。そのセレウコスが身内に殺されたのは皮肉だが、アレクサンドロスも、フィリッポス二世も同じように身内に殺されたのだった。