めまい

体調が悪くて半日潰れた。例によって心房細動の方はまったく自覚症状はないし、息切れするなどということもない。心臓の鼓動はいつ聞いてもいつも違っていて、だから最近は聞いても仕方ないなと思っている。鼓動の間隔がいつもバラバラなのは心房細動のせいもあるだろうけど飲んでいる薬の副作用な気もしてならない。期外収縮もいつも起きている。

薬を2日続けて飲み忘れたので1日1回のところを2回ずつ飲んで、今日もあと1回飲もうかと思ってたのだが、めまいがする。明らかに心臓の不調ではなくて、内耳とか、そのあたりの問題だと思う。心臓とはまったく関係ない別の持病なのか。半年に一度くらい突然くる。薬の飲み過ぎによる副作用?電車が速く走って(京急線みたいに)はげしく振動するときなどに気分が悪くなることがある。小田急でもなったことがある。立っているときになるのでできるだけ座るようにしている。今日は朝早く起きたからそれも関係あるか。

だいぶおさまってきた。なんなんだったのだろうかこの症状は。

自分のために書き残しておこう。昨日今日とお酒を飲む気が起きなかった。

髪の毛がますます細くなってきた気がする。若い頃はゴワゴワのくせ毛だったので思い切りすいていたのだが、今はすかなくてもよい、すくと少し少ないくらいになって、かきわけると地肌が見えるようになってきた。

埴輪と仏像

日本人が仏像を作り始めるよりもずっと前から日本人は埴輪を作っていた。

そして日本人が仏像を作り始めると日本人は埴輪のような造形を作り出すことをやめてしまった。日本人の創造性が固定化され様式化され、技巧的になり、宗教に絡め取られると同時に、多様性が失われてしまった。自由な創作活動が不可逆的にできなくなった。

もし日本に仏教が伝わらず、仏像を崇め拝むという習俗に染まらなければ、日本人は埴輪的な造形物を作り続けていただろう。仏像は確かに芸術的に非常に価値が高い。洗練されている。しかし所詮仏像は外来のものだ。別に日本で作るまでもない。必要があれば輸入すれば済む話だ(まして奈良の大仏なぞ作る必要はまったくなかった)。日本固有のものは日本でしか作れないのだから、日本はまずもって埴輪を作り続けるべきだった。しかし仏教は伝来し、仏像へ日本人の意識がすべて向けられてしまった結果、仏像以外の造形が絶えてしまったのは非常に惜しいことだと思う。

もちろんこれは仏像に限った話ではない。仏教、儒教、すべてに言える。日本人が日本だけでできたことの多くが外来思想や外来文化によって途絶してしまい、その発展が妨げられた。

実は同じことが明治にも起きたのである。弥生古墳時代には当たり前だった芸術が飛鳥奈良時代に混淆し、平安時代には捨て去られた。明治初期には西洋文芸理論との混淆も見られたが中期以降はただ単に江戸時代の文芸は切り捨てられ西洋文芸理論だけがもてはやされるようになった。

もちろん埴輪と神道は違う。しかし、古代神道と仏教の関係は、埴輪と仏像を見ればだいたい想像がつく。儒教や仏教は、キリスト教やイスラム教に比べればまだ日本と親和性が高く、日本に与えた良い影響ももちろんたくさんある。だが外来宗教には違いない。日本古来の固有の伝統だと言われるのはかなり違和感がある(アザーンはだめだが寺の鐘は良い、など)。

ただ、埴輪にせよ、もとは中国から渡ってきたもので、兵馬俑の模型を真似たものであったかもしれない。或いはもっと近い時代の唐三彩なんかの影響かもしれない。

ついでに言っておくが神社で朝、ブロワーで掃除しているのはなんとかならんのか。うるさくて非常に不愉快だ。別に機械を使って掃除するのがだめだというつもりはない。静かにしてほしい。早朝神社に参拝して清らかな気分になりたいのに、神経を逆なでする。境内を静寂に保つことは神道とは関係ないことなのだろうか?神社の周りを暴走族が取り囲んでエンジンふかしても良いのか?

NATOとEU

トランプが大統領になるとアメリカがNATOから脱退するなどと言われているが、冷戦が終わってワルシャワ機構もなくなったのに、NATOにアメリカが残っている理由はあまりない。EUはEUだけでロシアと対決すればよく、アメリカを巻き込まないほうが良いという考え方もある。

そんなら日米安保もやめてしまえという考えもあるかもしれないが、そうなると台湾有事はかなり現実化するかもしれない。

EUはでかくなりすぎた。フランス、ドイツ、イタリアあたりでこぢんまりとやっていればよかったのにNATOにアメリカがいて、虎の威を借りて、実力以上に拡大主義に走ったのがよくない。統一通貨ユーロも、欧州経済圏も、アメリカが手を引けばどうなるかわからん。それに比べてロシアは自分の実力だけで今もそれなりの勢力を保っているのはすごいことだが、しかしロシアもプーチンがいなくなればどうなるかわからんよな。日本はなんだかんだ言って一国でけっこうがんばっているほうではないか。日本と台湾と韓国が同盟すればそこそこすごいんだがそれって大日本帝国の再現だから嫌がる人が多すぎてだめ、そのつなぎ役をアメリカが代行しているのでなんとかなっている。どうしようもないなこりゃ。ヨーロッパも同じで、アメリカがいなくなりゃ結局ドイツかフランスか、どっちがじゃあヨーロッパの盟主になるのって話の蒸し返しになるだけよなきっと。そうやって地域ごとに盟主がいればアメリカの世界覇権は要らなくなるんじゃないの。

やる気

若い頃は寝起きが悪く朝はやる気が出なくてその代わり夜は朝まで飲んで遊べた気がするのだが、年を取ると朝からなんだかやる気が出て効率よく仕事ができているような気になるのだが、夕方にはもうやる気が枯渇してしまい、あとは酒飲んでさっさと寝てしまうようになった。一日のやる気は結局あまり変わってない。朝のうちにやる気を使い切ってしまうのはもったいないから、朝はできるだけだらだらするのが良いのかもしれない。

若い頃に比べて大人になって真面目になった、仕事ができるようになったように錯覚してしまうけどそうではないのだ。若い頃のほうが不真面目であった、などということはない。若い頃大したことができてなかったのは経験値が圧倒的に不足していて、経験値を蓄積するのにいそがしかったのだ。

やる気をできるだけ大切にしてけちけちつかっていかなきゃだめかもしれない。

お茶が古かったわけではないことがほぼ確定した。あれはお腹の風邪だったのだ。季節の変化に体調の変化がついていけなくてどうしても風邪をひく。体がなれると風邪を引かなくなるらしい。たぶん若い頃からそうだったのだが、若い頃は多少腹を壊しても風を引いても勢いで済ませてたが年寄りだとしゃれにならん。

一葉の歌 2

山の井の 浅くもあらぬ 冬なれや 汲み上ぐる水の やがて凍りぬ

寄る波に 消えぬ雪かと 見えつるは 入江の葦の 穂綿なりけり

うつせみの 世に誇れとや ほととぎす 我に初音を まづ洩らしけむ

野ぎつねの あたらすみかと なりにけり よしありげなる 峰の古寺

山鳩の 雨呼ぶ声に 誘はれて 庭に折々 散る椿かな

今はしも 人つらかれと 思ふかな 末とげがたき 仲と思へば

ともしびに 寄りて身を焼く 夏虫の あな蒸し暑き 夜半にもあるかな

何しかも 床の別れの つらからむ 見しは夢なる あかつきの空

いとどしく つらかりぬべき 別れ路を あはぬ今より しのばるるかな

影映す 鏡は置きて 新玉の 今年は心 磨き変へてむ

空をのみ 眺めつるかな 思ふ人 天下り来む ものならなくに

あやにくの 雨にもあるか 隅田川 月と花との あたら盛りを

降る雨に 濡るとも花を 見に行かむ 晴れなばやがて 散りもこそすれ

夏の夜は 短きものと 知りながら 見果てぬ夢ぞ はかなかりける

打ちなびく 柳を見れば のどかなる おぼろ月夜も 風はありけり

大方の 花は散りにし 夏山に 春を残せる 鶯の声

思ふこと 少し洩らさむ 友もがな 浮かれてみたき おぼろ月夜に

一葉の歌

をちこちに 梅の花咲く さま見れば いづこも同じ 春風や吹く

春風は いかに吹きてか 梅の花 咲ける咲かざる 花のあるらむ

明日といはば 散りもやすらむ 庭桜 今日の盛りをとふ人もがな

くろづたひ 行く人多く なりにけり 山田の里に 梅咲きしより

楽しさに 里のわらべは とく起きて 若菜摘みにと出づる春日野

降る雨に 濡るとも花を 見に行かむ 晴れなばやがて 散りもこそすれ

咲きにほふ 花にも酔ひて 澄田河 うつし心の 人なかりけり

世の人の 心の色に 比ぶれば 花の盛りは 久しかりけり

ねぜり摘む 里のわらべの かげ絶えて 田河の末に 蛙鳴くなり

月待ちて いざ見に行かむ 角田河 こよひを花は 盛りなるらむ

散りて行く 花もさこそは つらからめ 我のみ惜しむ 風の音かは

散りぬとて 忘られなくに 山桜 青葉のかげの ながめられつつ

水の色も ひとつみどりに なりにけり 夏草茂る 野辺の細川

夏の夜は 短きものと 知りながら 見果てぬ夢ぞ はかなかりけり

夏衣 替へて干す日も なかりけり 降り続きたる 五月雨の頃

帰るべき しほこそなけれ 山桜 暮るればやがて 月の出でつつ

いとどしく 濡れてぞ色は まさりけり 春雨かかる 山桜花

昨日まで 固くふふみし 桜花 今朝降る雨に ほころびにけり

世の人の 宝とめづる 玉もなほ みがきてのちの 名にこそありけれ

世の中の 憂さもつらさも 忘れけり ただ一杯の これのなさけに(酒)

寒けれど 小簾開けてみむ 角田川 漕ぎ行く舟の 今朝の白雪

うつし絵に 見るここちして 箱根山 月こそのぼれ 湖の上に

不忍の 池のおも広く 見ゆるかな 上野の山に 月はのぼりて

風ばかり とふと思ひし 松の戸を こよひは雨も 叩きつるかな

吹き迷ふ 筑波根おろし なほさえて ふもとの野辺は 春としもなし

咲く梅も 月もひとつの 色ながら さすがに折れば まがはざりけり

我が庭は 萩も薄も あらなくに 秋なる風ぞ おどろかし行く

いざさらば 起き居て聞かむ 夜もすがら 寝られぬ閨の こほろぎの声

おもふどち 雪まろげせし いにしへを 火桶のもとに しのぶ今日かな

凍りけむ いささ小川の 細流れ 今朝は音なく なりにけるかな

風邪ひいた

この時期毎年風邪をひくので用心していたつもりなのだが、やはりひいてしまった。おそらく寝冷えだと思う。熱が出るわけではなく、いわゆるおなかの風邪という状態で、ひたすら腹の具合が悪くなる。

最初は古いお茶を煎れて飲んだせいだと思ったのだが、どうも違うらしい。一週間くらいは長引きそうだ。

体重3kgくらい減ってて驚いた。そりゃそうか。あんだけずっと下痢が続けば。腸がまったく養分を吸収できてなかったんだな。いや、単なる脱水症状かもしれない。デブがそんなすぐに痩せるはずがない。

桂園派批判

国会図書館の本を物色していて、木俣修「日本秀歌 第7 増訂版」春秋社というものを見た。この木俣修という人は北原白秋の心酔者らしいのだが、桂園派についていろんな意味でいろいろひどいことを書いている。およそ明治の歌人らの歌を紹介しているのだが、旧派歌人、桂園派の歌人の歌は一人一首ずつしか挙げておらず、紹介するさえおぞましいといわんばかりだ。一番多く挙げているのは与謝野晶子。なるほどこの人は北原白秋や与謝野晶子のような歌が良い、つまり明星派の歌が好みなのであろう。彼は要するに敵であるところの旧派をけなし、味方であるところの現代短歌を擁護するにあった。

桂園派にはまず高崎正風を筆頭とする御歌所派があり、ほかには井上通泰らによる新桂園派(単に御歌所寄人ではなかっただけでほぼ御歌所派と同じと言って良い)、大八洲学会・東洋学会に属する歌人は古典派と呼ばれたという。民間にいた桂園派としては佐々木弘綱つまり佐々木信綱の父や与謝野礼厳つまり与謝野鉄幹の父などがあったという。

高崎正風が「題詠で終始した」と言っているのは明らかに事実ではない。桂園派歌人がみな春夏秋冬恋雑の歌しか詠まなかったと思っているとしたらおそらくその人は歌を何も知らないのだろう。

朝凪ぎに 沖の鰯や 寄り来らむ しほさき追ひて かもめ群れ飛ぶ

「叙景歌において、一つの事実をふまえて、他を推量するというような手法は、桂園歌風の常套であるから、一読してその固定した歌調の古さにつきあたる」とはひどい言い方だ。新派の歌にだってそんな歌はいくらでもあるだろう。おそらく木俣修という人は、写生の歌、目の前の情景をありのままに切り取った自然主義的な歌が良い、そう言いたいかもしれない。

古今集を宗とする桂園派は、古今集の美意識からほとんど一歩も外に出ることはできなかった。「風雅」という理念にしばられていた彼らは、現実の生活意識や時代感覚などとは全く没交渉であった。中世的な風雅というようなものの生きる現実的な基盤は、すでになくなっていたにもかかわらず、こうしたものの追求をこととし、その境に陶酔していたところに、旧派歌人たちの錯誤があり、短歌が他の文芸ジャンルの進展に添うことのできなかった原因が見られるのである。

これまたひどい。確かに高崎正風などは香川景樹の影響を受けて(事実は八田友則などから聞いた又聞きのたぐいだろう)古今調崇拝であったかもしれないが、香川景樹自身、必ずしも古今調に縛られていたわけではない。桂園派とは万葉調から江戸後期までのすべての古典的和歌を継承したものであって、木俣修は鎌倉、室町、江戸の和歌など何も理解できないのだと思う。

明治に入って新しい文芸ジャンルが次々に生まれてきたのであれば、そちらの新しいジャンルでせいぜい頑張れば良いのであって、和歌にまで口出しされるいわれはない。新派歌人こそ、明治以来の文明開化という理念に縛られていたにすぎないではないか。

正岡子規や伊藤左千夫ら根岸短歌会、つまりいわゆる根岸派、のちのアララギ派のことも、さほど詳しく知っているわけではないようだ。「根岸派は閉鎖的で歌壇的勢力も片隅的なものであった」というのもおかしい。アララギ派は明星派のライバル、新派の二大勢力だったわけで、相手のことを攻撃しているとみられても仕方あるまい。

伊藤佐千夫の歌を見るに、彼はほぼ完璧な大和言葉で歌を詠んでいる。これはまぎれもない和歌である。ごくまれに黒楽とか芍薬などの漢語を用いることもあるが、固有名詞だから、まあ仕方ないともいえる。根岸短歌会を立ち上げた明治30年以降の正岡子規に至っては、漢語はほぼ無制限に使っているから、伊藤佐千夫は子規よりもまだ和歌の伝統を守っていたというべきだ。

木俣修って紫綬褒章もらってるんだなあ。しかも昭和天皇の和歌指導までしている。

システムにキレる

某鉄道会社の予約サイトを使いながら私がtwitterの何にブチギレていたかってことがなんとなくわかった。つまり何よりもまずそのユーザーインターフェイスが不愉快なのだった。融通が効かない。人をイラッとさせる。どこかのブログサイトでもそう。AIについてもそうだ。コンビニのレジの店員についてもそうだ。そのシステムを開発した設計者が嫌いなんだと思う。そのシステムの仕様の悪さ、コンセプトの未熟さ、こなれなさ、配慮の欠如、などのほかに、或いは私のがわの生理的な問題もあると思う。

このシステム、こうなってればいいのになんでこうなってないんだろう、ってことに、いちいち関わっていてはこちらのメンタルが削られるだけで、何の意味もないってことはわかってるのについ気にしてしまう。田舎にいけばこのくらい不合理なことはいくらでも残っているだろう。犬が無駄吠えしたり。飲食店では当たり前のように喫煙していたり。いちいちそうした田舎に行かないから気に障らないだけなのだ。気に障ることはできるだけ気にしない。見ない。近づかない。そうやって自分が死んでこの世からいなくなるまで待つしかない。

すべてのものは開発途中であり、おそらくは徐々に改善されていくのだろうが、いつもいつも癇に障ることが何かしらあると、もうこれ以上使いたくない、となる。

twitterを使わなくなって、今までいかに無駄な時間をtwitterに費やしていたかということにも気づいた。そう。twitterは人生の無駄だ。たまに世間が何を言っているのか見るためにざっと目を通すのは良いかもしれないが、惰性でずっとみていたり、なんかに反応して書き込んだりするのは無駄以外のなにものでもない。

twitterのコンテンツ、というか、たわいもない個人の発言を眺めること自体は嫌いではないようだ。問題はそこじゃない。