幸福論

世の中には哲学というものがある。その哲学のおそらく中心的な部分に幸福論というものがある。人はどうすれば幸福になれるかということを延々と語っている。語りたがっている。自己啓発本なんかもだいたいはこれの一種だ。宗教も結局は幸福論の一種だ。

幸福かどうかなんてことは単に脳の中の特定の化学物質の過多の問題であって論じてもしかたない。幸福を感じていてもはたからみれば不幸な人はいくらでもいる。不幸を感じていても客観的にみれば十分幸せな人もいる。

そもそも幸か不幸かなんてことは死んでしまえばそれでおわりだ。今現在感じている苦痛をどうするか。それは幸福論以外の何かが解決してくれることだろう。

なんでまた世の中ではこんなに哲学なんてものがはやっているのだろう。これまでどれほど無駄な議論が費やされてきたか。空理空論が積み重ねられてきたか。人類の大いなる浪費というべきではないか。

それはやはり、世の中で競馬やパチンコが流行るようなものではないか。人間とはそうした習性をもつ生き物なのだからどうしようもない、度しがたいものではないか。

どうもみんなおかしなことをいっているだけように思えてしかたない。

「徒然草」などもどうでも良いことをただくどくどと熱く語っているだけのように思える。幸福になろうという一切の希望を捨ててしまえば済むだけのことではないか。

トランプ関税

勝ち馬投票券というように競馬は一番勝ちそうな馬を買う。パチンコだと一番出そうな台で打つ。

これを株で言えば、一番値上がりしそうな株を買う、一番値下がりしそうな株を売る、ということになるのだが、これ、儲かりそうで一番損するやり方だろうと思う。一番値上がりしそうな株を売って、一番値下がりしそうな株を買う。これをやらないと株はもうからん。下がったらさらに買い増しする。理屈で言えばそうなるが、なかなか心理的抵抗があってできない。今、トランプ関税のせいでバチボコに株が下がっているところでさらにナンピンする。たぶんそれが正解だが、じゃあどのくらい安くなれば買えばよいのか。まだまだ下がるんじゃないか。まだ下がってる途中なのじゃないか。

上がってる途中の株を買うのも、下がってる途中の株を買うのも、損するときは損するし、得するときには得する。

何が言いたいかといえば、競馬やパチンコなどの博打と、株では、心理的抵抗の向きがたぶん真逆なんだということ。どちらも下手くそは、得をしようとして結果的に損しているだけのことなんだが、博打は買うときはわくわくして、外れるとがっかりする。株はそもそもいつもひやひやしながら買っている。みんなが期待に胸を膨らませ頭に血がのぼっている勢いで人は馬券は買う。逆に株はみんなが意気消沈している時に買うのが良い。

株をわくわくしながら買っている人というのはつまりS&P500とかNYダウなどが永久に値上がりし続けると思っているような人だろう。今まで10年ほどはだいたいそうだった。100年スパンでみれば確かにそうだ。S&P500はしかし10年間ずっと下がっている時もある。私は日本がバブルでアメリカ経済が低迷している頃を経験している。アメリカ経済とかS&P500なんてものはまやかしなんじゃないかとも思っている。結局日本の製造業が一番着実で安全なのではないかと思っている。だから今はあんまりぱっとしないカシオなんかをコツコツ買ったりしているのだ。

いずれにしろ今トランプがやっていることは過冷却状態になっているところへ外からわざと振動を与えているようなもので、それでトレンドが変わるのであれば遅かれ早かれ、トランプがやろうとやるまいと起こっていたことであり、トランプのせいというよりは、ここまで経済をこじらせてきたアメリカという社会のせいというしかあるまい。日本のバブルが総量規制ではじけたようなことがアメリカで起きないとも限らない。それならそれでしかたない。

いずれにしても今、日本では、企業の業績が悪くて株が下がっているのではないのだから、安ければ買いであろうと私は思っている。実際、上がる株は上がっている。伊勢丹やみずほ銀行のように上がりすぎた株は下がるであろう。しかし同じ金融でもトマト銀行などは大して影響を受けていない。

二発目以降もよく売れた一発屋

森鴎外は長編も書くが短編も書いている。芥川龍之介だって、菊池寛だって、中島敦だって、志賀直哉だってそうだ。みんないろんなものを書いているが、夏目漱石はほとんど純粋に雑誌か新聞に連載する小説しか書かなかった。

普通小説家になろうとする人は短編か中編を書いてみて、だんだんに長くしていって長編小説を書くものだろう。漱石はいきなり長編を書いた。ずいぶんおかしな人だと思う。これもやはり連載小説という形であったからそうなっただけだとしかいいようがない。

漱石は『猫』以降も、基本的に長編小説しか書いてない。『猫』『坊っちゃん』が雑誌「ホトトギス」連載、『草枕』も雑誌連載、次の『二百十日』は『草枕』の続編か何かのような、熊本の山の中をただ歩きながら登場人物二人が会話ばかりしているへんてこな中編小説。その次の『野分』は「ホトトギス」連載。その後は全部朝日新聞連載。

処女作の『猫』がとにかくいきなり長い。最初は一話読み切りのつもりで、試しに書いてみたんだろうが、好評だったからなし崩しに連載になった。上巻、中巻、下巻と三部に分かれていて、猫が死んで終わりにしたのに、まだ続編を書いてくれと言われたと下巻の序に書いてある。とにかく読者からの要望が多かったからこんなに長い話になったのだろうが、これといってストーリーがあるわけでなく、だらだらと続く話だ。同じことは『坊っちゃん』にも『草枕』にも言えるだろう。

漱石も『こころ』あたりまでくるとちゃんとあらかじめしっかりストーリー構成して計画的に書いているが、『猫』はそうではない。まったく無計画に書いている。『草枕』もストーリーは基本なくて、書きたいことをただ書きたいように書いてみて、それで読者の反応を見ている感じ。『二百十日』はさすがに読者ももうわけがわからなくて、書いている本人もわからなくて、あんな落語か漫才の出来損ないみたいな話になった。

あとから朝日新聞に連載した作品群はともかくとして、基本的に漱石という人は一発屋である、というより二発目以降もよく売れた一発屋という性格の作家であって、人に言われるがままに書いて、それがなぜか毎度好評だったので、書き続けるしかなかった。彼はきっとなぜ自分が小説家のようなことをやっているのか最後までわからなかったのではないか。

当時は病弱で短命な人はいくらでもいたけれども、漱石もやはりそうした一人であって、小説を書き出した頃にはすでに相当病んでいたが、売れっ子作家になり、朝日新聞専属作家になったあとにますます症状が悪化して、死を意識しなくては作家活動もできなくなってしまっていただろうと思う。もしかして創作活動をきっぱりやめてしまえばもう少し長生きできたのかもしれない。そうした創作活動で精神をやられて体を壊してしまう人だったのではなかろうか。自分の好きな物を書くのでなくて、読者の評判を気にしすぎていたのかもしれない。一生熊本辺りで高校教師をしていたほうが楽しく暮らせたのではなかろうか。

自分の話をすると「エウメネス」も最初は、ゲドロシアの沙漠で兵士が捧げた兜一杯の水を捨てる話をメインにした短編だった。ところがこれが良く売れるので続編を3巻目まで出した。それでもまだ売れ続けたので切りのよい6巻目まで書いたのだった。必ずしも長編を書きたかったわけではなく、短編は中編も書いてはいたが、反応を見てだんだんに長編も書くようになった。逆に何の反応も無しに長編を書くことなんかできないと思う。

小説を書き始めたきっかけというのは、もう何度も書いているが、宮本昌孝『義輝異聞』を読んだからだった。ああこういうものを書いてもよいのか、こういう題材であれば私にも書けそうだという気になり、「将軍放浪記」というのを書いた。それより前に「アルプスの少女デーテ」などというものをちょこっと書いたこともあったのだが、何よりも私はたぶん、頼山陽とか本居宣長なんかにはまっていた頃だったから、そういうものをそのまま小説に書くのもありなんだなというとっかかりになった。一度書き始めると現代小説なども書いた。人が書いたものを読むだけというのにすっかり飽きてしまっていたから、自分が読みたいものを自分で書くようになった、というのが一番動機としては近いと思う。

それ以前はいろんなものを乱読していたのだが、久しぶりに部屋の片付けなどするとそうした乱読時代に買った本がたくさん出てきて、塩野七生なんかは今ではまったく嫌いになったけど昔は良く読んだよななどと思い返した。嫌いになったのはこの人が完全に西洋史観に完全に没入した人で、かつ歴史認識にもいろいろ問題があるからで、要するに、司馬遼太郎のたぐいで読めば読むほど嫌になるタイプの小説を書くからである。しかしながら彼女のハンニバル戦記などは「エウメネス」を書く上で大いに影響を受けているには違いない。昔自分が読んだ本を、自分が書いた物の原点を再確認する作業のつもりで読み直している。宮城谷昌光『重耳』は割と好きで読んだが、改めて読んでみてやはり面白いと感じる。他には子母沢寛、陳舜臣、酒見賢一などを読んでいた。宮崎市定は手に入るものはほとんど全部買ってあるのではないかと思う。そうしたものを読んだ上で次第に平家物語とか太平記とか吾妻鏡とか六国史や伊勢物語なんかの、より古いものを直接読むようになっていった。

幸田露伴『努力論』を読んでみたがまったく面白くない。こういう校長先生のお説教みたいな本をよくもまあ書いたもんだとしか思えない。幸田露伴ってどこが面白かったんだろう?

森鴎外の短編はまあまあ面白い。改めて不思議な人だなと思った。というより、鴎外もまた普通の人だし、漱石は漱石で普通の人であっただろうし、露伴は露伴で普通に真面目くさった人だったのだろう。

アレクサンドロス大王のルートをたどるユーチューバーはいるか

世の中いろんな旅系ユーチューバーがいるが、だいたいにおいて、世界何十国回ったとか、現地に行って観光したけど歴史のことは知りませんって人が多い。ただもう無茶なところにいって無茶なことをしました、或いはただビール飲んで飯食いましたっていうようなものばかり。また世の中いろんな歴史系ユーチューバーがいるが、たいていは郷土史的なものであって、自分が住んでいる近くをうろうろする程度だ。旅系ユーチューバーであってかつ歴史に詳しい人、或いは、歴史的な出来事をたどって旅をするユーチューバーというものは案外いない。

たとえばアレクサンドロス大王東征記の経路をマケドニアから始めて、シリア、エジプト、インドに至り、バビュロンで終わる、などといった壮大な計画を立てて、緻密な現地調査をし記録しながら進めていく、などというユーチューバーはいない。いたとしてもそのルートは危険な紛争地帯をたどっていくから、その人はきっと全行程を踏破する前に死ぬことになるだろう。自分でやれと言われても無理だし、もし私が時間と金が有り余る若者であったとしても恐ろしくてやらないだろうと思う。もしこれを読んでじゃあ俺がやってやろうなんて考える人がいたら絶対お勧めしない。少なくとも私はまったく責任負えない。

他にもマルコ・ポーロやイブン・バトゥータの足跡をたどってみようとか、カエサルのガリア戦記の跡をたどろうとか、或いはハンニバルのアルプス越えとか、或いはアルプ・アルスラーンがアナトリアに入った経路をたずねてみるとか、まだある、バトゥやアッティラの経路をたどってみるとか、いろんなバリエーションがあると思うんだが、そんな動画に巡り会うことはほぼない。アフリカ大地溝帯からパタゴニアまで歩く、という企画も、ナショジオあたりで、エド・スタッフォードなんかがやってもよさそうなもんだが、どれもこれもなさそうだ。

だが、外国人ならばもしかしたらそういう人もいるかもしれないと思い、検索してみたが、そのものずばりな人はいない。しかしそれに近いことをしている人はいた。

冒頭、アイガイがどうしたこうしたとか言って、全然話が進行しないので、どうもギリシャ国内のアレクサンドロス大王に関連する土地を巡っているだけらしい。私が期待したような、ギリシャからバビュロンまで行ってみた、っていう動画では全然なかった。しかしこの人、他にもいろんなところに行ってるみたいだからしばらく観察してみよう。

雨の日は良い

浅草はふだんが混みすぎなので雨の日が良い感じにさびれていて、一八そばのある通りも、いつもより風情がある。君塚食堂もがらがらで店員のおばさんが三人、手持ち無沙汰にだべっているのもBGM代わりにちょうどよい。

たぬき。ここのおばさんはもう50年間この店で働いているというから働き始めは昭和50年、当時はすごく若い娘だったのだろうと思いながら眺めていた。

普段は忙しくて話もできないのだろうが、客が私一人だったので、けっこう話しかけられてうれしかった。この店は来やすいと確信した(お店の人があまりしゃべらない店だと、こちらから話しかけて良いのかわからず馴染むまでかなり時間がかかる。ワンオペの店だと特に馴染む前に気まずくなってしまうこともある。私はここにいていいのだろうかと)。あまり気兼ねしなくて良い、何しろ外から空いてるか混んでるか丸見えだから、忙しそうな時にはこなきゃ良いだけだ。テレビで何度も放送されているそうで写真を撮ってもかまわないとも言われた(私はあまりブログやツイッターなどで店名をさらさないほうだがここはかまうまい。ほていちゃんなどのチェーン店はかまわず記載している)。古態を留めた浅草を代表する店の一つだと言って良い。

浅草は雨の日に散歩するのも楽しいので、散歩用に雨合羽を買った。合羽橋には売っていなかったのでヨドバシで3000円くらいのを買うことにした。

ちなみにこの日、ほていちゃんは割と混んでいた。

追記: 浅草たぬきは、創業昭和20年とのこと。食べログには全席喫煙可とあるが現在は店内は禁煙になっている。

ドナルド・キーン再説

このブログはもうずいぶん昔(私が30才台の頃)から書き散らし書き殴っているもので、手直し・書き直しが必要なのだが(改編するというわけでなく書式などのメンテナンスが必要ということ)、ふと、25年も前(ということは35才の時)ドナルド・キーンついて批判している文をみつけた。

ドナルド・キーンドナルド・キーン2ドナルド・キーン3宣長の違和感原勝郎「山月記」はなぜ国民教材となったのか

どうであろうか。すでに書いたことはできるだけ繰り返さないが、司馬遼太郎がとんでもない歴史音痴なのは今更どうしようもないとして(そういえば合羽橋に行ったとき台東区立図書館の池波正太郎文庫に行ったら司馬遼太郎の本まで置いてあった。あれはけしからんことだ。ちゃんと分別してほしい。合羽橋には雨合羽は売ってなかった)、ドナルド・キーンはなぜよりにもよって、足利義政に興味を持ったのか。他に面白そうな人はいくらでもいるのになぜ義政の本をいくつも出したのか。

25年前の私は彼が先に、京都人か誰かに感化されて室町文化、東山文化に興味をもちそこから義政に興味をもったのではないか、と推測しているのであるが、それは原勝郎という人が

書畫、茶湯、活花、又は連歌、能樂等に關係した方面に興味を持つた場合であるので、一口に之を評すれば骨董的興味から觀察した足利時代であつたのである。

と言っているのと同じだ。しかしそれだけでなく、今思うに、彼は義政を彼のライフワークである明治天皇にぶつけて、日本という国の典型的な最高権力者(しかも権威的な、象徴的な意味での)の、特に際立った、特徴的な二人を対比してみたかったのではなかろうか。

この、ドナルド・キーンという人に取り上げられたことは義政にとって非常に迷惑なことであった。同時に、足利義政の比較対象にされた明治天皇にとってもまったくありがたくはないことだったと思う。ドナルド・キーンによって日本史研究は多少とも進歩したのだろうか?非常に疑問だ。司馬遼太郎を引っ張り出してきてこんな対談をして合いの手を打たせたりするようでは、たかが知れている。むしろ日本史に対する誤解を再生産し変な箇所をことさら膨らませて奇形にしただけだったのではないか。

ドナルド・キーンという人が義政を「ろくでなし」「気違い」などと考えたということは(それを後白河法皇に対して言うのであればまだわかる気もする)、彼にそう思わせ、そう言わせた日本人が彼の周りに相当数いたということだ。また北条泰時のような天才に対して「鎌倉時代の北条三代というのは、無学でしたけれども、一生懸命政治をします。」などと発言していることも、彼がちゃんと自分で調べなかったせいというよりは、当時の日本の歴史観というものがそうしたものであった、特に、京都人はことさらに応仁の乱を馬鹿にして義政をあざけって悦にいり、鎌倉北条氏をおとしめて溜飲を下げていたのだろうと思われるのだ(ドナルド・キーンとどこかの公家の子孫が茶室かなんかでそんな話をしているシーンが目に浮かぶ)。足利氏にしても京都人にとっては北関東からでてきた野蛮人程度の認識なのだろう。

司馬遼太郎のように、室町将軍のことも応仁の乱の意味もなんにもしらずに、「どうも後世から応仁の乱を考えると、無意味で、どうしようもなくて、ただ騒ぐだけの戦争ですが」と放言する輩が戦後日本には大勢いたのだろう(たぶん今もおおぜいいる)。

私は高校で日本史をとらず世界史を取った(とすでに書いているけれども)。どこかで日本史を小馬鹿にしていたのだと思う。当時の新聞が読むに値しなかったように、日本史などというものは学ぶに値しないものだと思っていたと思う。そしてのちに「日本外史」で日本史を一から独学した(これもすでに書いている)。江戸時代の人は室町時代を良く知っていた。今の私たちが明治時代を熟知しているように。

今の人たちはかつて関東で利根川を挟んで、西関東と東関東に分かれて戦争をしていた、なんて話をまったくしらない。は?それはいったいどんな歴史創作ものですか、何かちょっと面白そうですねなどと言われる。れっきとした事実である。そしてそれにそれを元ネタにした小説ももうある。江戸時代に滝沢馬琴が書いた南総里見八犬伝がそれだ。太田道灌や、北条早雲やその子孫らがどんな戦争を闘ったかなどということも、彼らの名前だけ知っているだけだ。江戸城も川越城も元はといえば、西関東を支配する関東管領上杉氏の家宰太田氏が、東関東の古河公方と対峙するために建てた城だ。

応仁の乱で京都が戦場になった、戦に焼かれてお寺もボー、などという話は良く知っているくせに。関東に生まれ育った人でもよっぽど郷土史に詳しい人しか南総里見八犬伝のベースとなった関東の歴史を知らない。自分が住んでいるところの郷土史としては知っていてもそれが日本史全体の中でどういう文脈にあるかを認識していない。

京都と関東は連動していた。京都しか見ていなくて応仁の乱がわかるはずがない。義教が関東をぶっ壊したせいで、関東は大乱となった。義政はそれをなんとか収めようとして余計火に油を注いだ。義政が何もしなかったのではない。無能だったのでもない。嫁の日野富子の尻に敷かれていたせいでもない。不可能だったのだ(もし義政が強権を発動すれば義教や義輝のように家臣に暗殺されるか義昭のように京都から追放されるおそれがあった。勢い合議制にならざるを得ず、細川、山名などの大族には遠慮せねばならぬ)。

京都の室町将軍と関東の鎌倉公方はもともと尊氏の息子たちだったがだんだんに血が遠くなり、足利本家の室町将軍と分家の鎌倉公方が対立するようになって(江戸時代に徳川氏が御三家、御三卿どうし対立しなかった(少なくとも戦争には発展しなかった)のは足利氏の前例を学んでいたからだ)、関東の方が先に幕府体制が崩壊していき、それが京都へ逆流してきて応仁の乱になった。足利将軍が守護を任命して日本全国を支配するという制度は東から西へと崩れていった。その全体的な流れを説明しなくては応仁の乱も戦国時代もわかるはずがない。日本外史を読めばその流れはわかる。南総里見八犬伝を読めばだいたいの雰囲気はわかる(あれを通読する人は滅多にいないとは思うが)。江戸時代の、京都の人はともかく、関東に住んでいた人たちはみんなわかっていたはずだ。ところが今の日本史では室町時代をほとんどまったく教えない。ただ京都室町御所で茶の湯がー、申楽がー、書院造りがー、連歌がーと芸能にうつつを抜かしていたら突然青天の霹靂のごとく応仁の乱が勃発し、義政は銀閣寺を建てて政治から逃避し、日野富子は義政を尻に敷き、ぐだぐだ戦争が続いて日本全体に波及して戦国時代になった、くらいのことしかいわない。で、司馬遼太郎の書いたものばかり読んでいる。室町時代がわかるはずがない。

私も関東に住み、東京神奈川、埼玉や千葉などあちこち経巡ってきたせいで、関東のことがだいぶわかるようになってきた。東京は日本の首都であるはずだが、日本人は関東のことをわかってない。

ともあれ。私が最近書いた本でも(いつ出版されるかわからないが)ドナルド・キーン批判をしたのだった。彼はいろいろわかってない。それはやむを得ないことだ。しかしながらみんなドナルド・キーンの研究はすごく優れたものだと思い込んでいて、実際にはろくに読んでもいないし、ちゃんとした検証などまったくされていない。これは困ったことである。

根岸の里

よせば良いのに、山谷堀から墨田公園まで歩いてみたのだが、人が多くて騒々しいだけだった。待乳山もただ人が多いだけ。美しくもなければ気持ちよくもない。江戸の情緒なんてひとかけらもない。花見がしたければ浅草以外のどこかへ行ったほうが良い。

私のようなせっかちな人間が人混みを歩くことほど危険で、精神をすり減らすことはない。早朝や、平日の午後などに移動することにしよう。

下は、昨日雨の中、根岸の里という公園で撮った写真。人はおらず鳩が大量に群れていた。こっちのほうが美しくてなごむよね?

謎のコッペパン専門店にも行った。観光地でもないのに食べ歩きなどしてしまった。ほとんど人はいなかったので迷惑はかけてないと思う。

根岸の里と言っても、正岡子規の庵がある辺りはゴミゴミしてるし車も多いし、タバコ臭いし、「根岸の里のわび住まい」どころじゃないから、寄りつきたくないんだよな。

メンタルが急速に弱まっていくのを感じる。twitterもむやみにフォローするのはやめる。フォロワーを増やそうなんてことはもうやらん。自然に減っていってそのうちフェードアウトするのが良い。twitterには極力書かないようにするし、他人ともからまないようにする。精神衛生上ここのブログには適当に書くとして、その他のSNSにもできるだけかかわらないようにする。実生活でももうこれ以上人付き合いを増やすことなく、特に親しい人以外は会わないようにする。

そうやって社会とのつながりをどんどん断ち切っていったからといって、この世ではもうこれ以上やることもないのだからなんの問題もない。これまでは仕事してお金を稼がなくてはならないからむりやり社会に出て行った。それももう必要ない。やることがなくなりすぎて、退屈で死にそうになるのが困るかもしれないけど。

置き配

50GB以上使うと通信速度が月末まで128kbps制限になるっていうwifiルーター使っているんだが、twitterやgmailなどは割と非同期通信でもってなんとかなるものだ。youtube や youtube music はだましだましつかっているがバッファリングでなんとかなるところもあるんだが、やはりだめだなあ。ともかくいまどきこんなんじゃ使い物にならない。新年度の予算で通信制限がかからないwifiルーターを買いなおす。

上野の某漬物屋で沢庵を買ったのだけど失敗した。店構えが立派なのと、宮崎産で昔ながらの製法だと書いてあったので失敗した。甘味料を使いすぎているし、歯ごたえがしゃりしゃりがりがりしててあんま漬かってる感じがしない。梅干しと同じで、原材料名をちゃんとみなくちゃダメだ。塩と麹だけで作ったものにしなくては。なぜみんなこんなに甘くしてしまうんだろう。梅干しもはちみつ入りばかりだ。

梅干しに関しては、曽我梅林、熱海梅林、越生梅林のようになんとか梅林という名前のものは、外れが比較的無いように思える。梅の実と塩だけで作ったものが良い。紫蘇入りまではギリギリ可。そこ守ればだいたい外れない気がする。湯河原のように梅林があっても梅干しは作ってないところもある。

日本酒も私にとって甘すぎるものが多すぎる。よくまああんな甘いものを飲みながら食事ができるものだ。菊正宗や高清水くらいまでが私には限度。ワインにも甘いものが多いし、紹興酒なんかも甘いから、別に日本の酒だけが甘いわけじゃないのだろうが。

それはそうと浅草に部屋を借りて初めてアマゾンで買い物をした。配送業者がアマゾンの場合には原則として置き配になるという。まあそれでもいいかと思った。靴を買ったのだけど、同じものがヨドバシカメラでも売ってて、しかし、アマゾンのほうが安かったからアマゾンで買ったんだけど、私としては得体のしれない業者に置き配されるくらいならば、素性のしれた(ちゃんと制服を着た)業者が配達してくれるところから今後は買おうと思った。

靴というのはテクシーリュクスなんだが、ヨドバシで売ってるビジネスシューズはテクシーリュクスだけなんだな。昔よりも少し高くなったような気がするが、これからは多少高くてもちゃんとした業者からちゃんとしたものを買うようにしたい。

歌だけは残ってほしい

実際私は哲学とか思想というものにまったくなんの価値も認め得ない。ただのたわごとだと思っている。「寝ぼけた人が見間違えた」ものだと思っている。それゆえ当然哲学者というものになんら存在価値も認めないし敬意を払う気持ちもない。宗教に対しても同じだ。

宗教や思想などというものがすべて失せてホモ・サピエンスが登場した時代にさかのぼってもなんら惜しいとかもったいないとは思わない。むしろそのほうがずっとさっぱりしてすがすがしいと思う。私はコロナ騒ぎを見て、人類の進歩というものに対する一切の幻想を失った。人類(の精神)はまったく進歩していないし、今後も進歩することはない。人間社会を進化させようとするのはまったく無駄な努力だ。

人類が滅亡することにもなんら惜しいという気持ちはないしまして悲しいとか哀れを感じることもない。人類はこれまで当然滅びてしかるべきことばかりしてきた。報いをうけてしかるべきだとは思うが、それ以上何も人類に期待するものはない。人類は単に不完全な、偶然、自然発生的にうまれた種に過ぎず、それ以上の、なにか崇高で特別な存在ではないし、これから完全になることもなければ、完全に近づき得る存在でもない。

しかしながら私は、人類が滅びることによって私が詠んだ歌が失われることは、もったいないと感じている。人類があとかたもなく滅んでしまっても別になんとも思わない。そんなことは私にとって痛くもかゆくもない。もし人類に代わる何かの知的存在が私の歌を記憶していてくれればそれで十分だ、と思える。

私が書いた小説などみな消え失せてもかまわない。私が書いた論文など紙屑になってもかまわない。しかし私の歌は何とか残ってほしい。日本人とか日本とか人類とか芸術とか真理とか、そんなものにはまったく興味はない。

ただ私の歌だけは残ってほしいと思う。

私には昔からそうした傾向があったと思う。私はいつも、研究するときには、自分が人類であるからこの研究をしたのか、それとも私の研究は人類以外にも理解されるものであろうか、人類以外の存在にとっても価値があるだろうか。そういうことを考えていた。もし人類にしか価値の無い研究であればそんなものはもともとなんの価値もないと思っていた。自然科学の研究をしていても歌を詠んでいても、結局私は人類というものをまったく信用してはいなかった。人類ではなくもっと、なにかもっとアブストラクトな存在のために仕事がしたいのだと思う。

であればこそ、周りの人や、職場の同僚や、雇用主や、国や地方自治体や民間企業に認められようという気にはまったくならなかったのだ。それではいっこう、良い気持ちにはなれなかった。承認欲求も満たされなかったのだ。

ワンオペ個人店

浅草に越してきてだいぶ暖かくなってきた。そろそろ花見だうれしいなという浮かれた気持ちにはなれない。これから先暑くなって下水の匂いなどがけっこうきつくなってくるのではないかと今から恐怖している。

浅草でいろんな店を開拓してそれはそれで面白いんだけど、私は昔からワンオペでやってる個人の居酒屋なんかが好きなんだと思っていた。今でもそうなんだが、しかしワンオペの店というものは店が混んできたりするとみていて非常に気の毒というか痛々しいというか、こっちのメンタルまでやられてくる感じが最近するのである。たぶんこれは私が年をとってメンタルが弱くなったせいもあると思う。もちろん私一人が行こうがいくまいがそれで店が忙しくなったりヒマになったりするわけじゃないんだが、とにかく気をつかう。いつもガラガラの店ならそんな気にすることはないが、繁盛店だとすごく気をつかう。なので、鳥椿とかほていちゃんのようなチェーン店に行くのが吉な気がするのだ。

あと中国人のやってる中華とか。これもガラガラならば快適なのだが、どんどん客が入ってきて、しかも店員が延々と団体客にメニューの説明してたりすると、いらいらしてくる。

要するに私は混んでいる店が嫌いなわけだから、そういう影響を受けにくい店にそういう状況になりにくい時間帯に行くしかない。という結論になるわね。