戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。

三島由紀夫が復活する

小室直樹「三島由紀夫が復活する」の中に
坊城俊民 「焔の幻影 回想三島由紀夫」の次のくだりが引用されている。

>「坊城さん、ぼくは五十になったら、定家を書こうと思います」
「そう。俊成が死ぬとき、定家は何とか口実を設けて、俊成のところへ泊らないようにするだろう?あそこは面白かった」

「あそこも面白いですが、定家はみずから神になったのですよ。それを書こうと思います。定家はみずから神になったのです」三島の眼は輝いた。(中略)
今になって思うのだが、三島は少なくともそのころ、四十五年正月ごろは、進むべきふたつの道を想定していたのではなかったろうか。ひとつは、世人が皆知っている、自決への道である。これを三島の表街道とすれば、裏街道は、定家を書く道であった。裏街道をたどらざるを得ないことが起こったとすれば、それは三島にとって不本意にはちがいなかろうけれども、私は後者をとってほしかった。

これの

> そう。俊成が死ぬとき、定家は何とか口実を設けて、俊成のところへ泊らないようにするだろう?あそこは面白かった

の箇所は坊城のセリフであって三島ではないのだろう。
「定家が自ら神になった」とは何が言いたいのか。
三島が抱いていた何かの虚像なのだろう。
三島由紀夫や小室直樹が定家を理解していたとはとても思えないのだが、
それはともかくとして
「ぼくは五十になったら、定家を書こうと思います」
というセリフが私にはどきりときた。

私はこの「三島由紀夫が復活する」をその出版当時、つまり昭和60年2月26日頃に、
読んでいるのである。
当時私は19才だったはずだ。
そして私が「定家を書いた」のはちょうど私が50才の時であった。
実際には49才頃からすでに書き始めていて、構想はもっと前からあったのだが。
私の脳のどこかの無意識にこのセリフが刻み込まれていて、
それが時限装置のように働いて私に定家を書かせたのではないか、
そんな気がしてきたのだ。

小室直樹はこの本をその2年前から書き始めたと言っているのだが、
1932年9月9日生まれの小室直樹にしてみると、彼が50才の時のことだったはずだ。
小室直樹はだから、50才で定家を書くのではなく、三島由紀夫を書き始めて、
2年の歳月をへて、ちょうど226事件の日に、「三島由紀夫が復活する」を刊行したのである。

私はずっとこの「三島由紀夫が復活する」が、小室直樹の書いたものの中では一番難解だと思っていた。
カッパブックスなどの売れ筋の本は編集者の手が入っていて多少読みやすいが、
「三島」は小室直樹が好き勝手書いているからちんぷんかんぷんなんだと思っていた。
しかし50才になって「定家」を書き、「ヨハンナ・シュピリ」を書いて、
その他いろんなものも書いてみて、著者の気持ちというのがわかったような気がしてきた。
著作を深く理解するには自分も著作してみるとよいと思う。
読者を意識して書くという作業を通じて、著者が読者に何を言いたいかが読み取れるようになる。
というより、書こうと思って書き切れなかったことにも今なら気づけるのではないか。
私が「三島由紀夫が復活する」を理解できないのは小室直樹の執筆意図を理解せず誤読しているせいかもしれない。
そう思ってもう一度丹念に読んでみることにした。

それでまあこの本は小室直樹が真剣にまじめに書いたものであって、
きちんと一冊の書籍の体裁にまとまっているのはわかった。
しかしいろんな点でやはり納得はできない。
唯識論や三島理論と天皇制とは特に関係ないとしか言いようがない。

「ミリンダ王の問い」という仏典が引用されている。
これはギリシャ的哲学とインド的哲学の対立と捉えられているのだが、
例えばギリシャ人でもディオゲネスなどは明らかにインド思想の影響をうけている。
またギリシャの宗教でもギリシャ由来でないものは多い。
アドニス、アルテミス、デュオニソスなどは西アジアやインドの影響をうけている。
イエスにも仏教の影響は見える。
西洋と東洋を対立させてみるという考え方は本質を見誤らせるし、定家が自ら神になろうとした、
なんていう証拠はどこにもない。
そんなことを定家がやろうとしたはずがない。

それでもまあ、小室直樹や三島由紀夫を知るには貴重な本であるのには変わりないが、
三島由紀夫は結局50才で「定家」を書かずに45才で死ぬ。
三島由紀夫が1970年11月15日に割腹自殺したのは1971年1月14日に転生しなくてはならなかったからだ、と書かれていて、
おそらくこれは小室直樹の持論なのだろう。
そして1月14日は三島由紀夫の誕生日なのである。
小室直樹は三島由紀夫は自分自身に転生したかったのだと言いたいわけだ。

オリンピック

アッリアノスなんか見てると、神前に犠牲を捧げて、体育の捧げ物とか音楽の捧げ物とか、競技などを催すのだけど、これが近代オリンピックのひな形なのだろう。

この、古代ギリシャにおける、神に捧げる体育競技というイメージと、今のオリンピックはほぼ何の関係もないような気がする。こんなものを捧げられた神様はたまったもんじゃない。

オリンピックなんてやめて、個別競技の世界選手権で良いのではないか。インフラ整備なんてものをいちいちやる必要ないし。同じようなもので万博というのももう死んでしまったし。

一度リセットしてみるべきなのではなかろうか。

αλέξανδρος φιλίππου μακεδονων

Alexandros Philippou Makedonon、
フィリッポスの子アレクサンドロス、マケドニア王の。

Alexandros は単数主格。

Philippou は複数属格。

Makedonon は複数属格。

「エウメネス1」でアマストリナという名で出てくる女性の名は英語表記では
Amastrine、Amastris。
貨幣には
AMAζTPIEΩN (Amastrieon)、
AMAζTREΩζ (Amastreos)、
AMACTPANΩN (Amastrianon)、
AMACTPIC (Amastris)、
AMACTPIANШN (Amastrianun)、
AMACTPIAлOI (Amastrinoi)
などと刻印されている。

たとえばビュザンティオンはビュザントスという王様が作ったからビュザンティオンと言う。
これも複数属格である。
王や神が複数形をとることはあるのだろう。
そしてその複数属格が名詞化して国名になる。

アマストリエオンは、従って「アマストリエ」の複数属格であって、国の名前であったと考えられる。
最も原音に近い名は「アマストリエ」或いは「アマストリー」であったかもしれない。
ただし今もトルコには「アマスラ」という地名があるので、もともとは「アマストラ」という名であったかもしれない。

Amastris と Amastrine の語尾は何語なのかよく分からない。
-ine はラテン語の女性形を表すのかもしれない。

ギリシャ語良くわからない。
ペルシャ語はもっとよくわからない。

ところで「ヒストリエ」とは何語だろうか。フランス語か。
ギリシャ語ならば「ヒストリア」で格変化しても「ヒストリエ」にはならん気がするのだが。

小説の体裁

twitter の自己紹介に「小説のようなもの」をKDPで出版してます、
などと書いてたのだが、
こんど出す「エウメネス2」と「エウメネス3」に関しては、
自分の作品ながら「小説のようなもの」呼ばわりするのは変な気がした。
失礼な気もする。
それで若干自己紹介を書き換えたのだが、
なんでそう思ったかと自己分析してみた。

「エウメネス1」はもともとは私が勝手に書いた「小説のようなもの」なのだが、
これはけっこう売れたので、
お金を払ってくれた人に対して失礼な気がする。
お金を払って買ってくれた人はこれを「小説のようなもの」ではなくて
「小説」という商品として買ってくれたわけである。

つまり、ものを売るということはそういうことなわけで、
自分のものだからといってむやみに卑下してはならない気がする。

「エウメネス2」と「エウメネス3」は初めて予約注文でやったが、
予約者も(そんな多くはないが)いて、
書いている最中から、読者、というより、買ってくれる人、を意識して書いた気がする。
「エウメネス1」を買ってくれた人にまた買って貰いたいという気持ちで書いた。
もっと言えば、夏目書房新社で紙の本を出版してもらい著者紹介にも少し書いてもらった(その紹介文は非常に恥ずかしいものだったが。CiNii にまで載ってしまった。なおさら恥ずかしい)。
ちょこっとだが編集会議のようなこともしたので、私が独断で出版して良いものではない
(だが、続編をちょっと書き足すというつもりで、独断で書かせてもらった。完結させたのではない。
完結させるとしたら全部で1000枚では済まないだろう。
もし今回の続編が売れたらも一度、改めて相談してみるつもりだ)。
いろんな人の意見も聞いた。
だからもうこれは「小説のようなもの」ではあり得ないのである。
「プロ意識」と言えばそうなのだろう。

で、私の場合昔からそうだったのだが、100枚のつもりで書いて、
最初の書き終わりは80枚くらいだが、手直ししていくうちに100枚になる。
しかしその後いろいろ書き足したり肉付けしたりする。
歴史小説の場合特にそうなりやすい。
文章そもそもの磨いていく。
そういう書き方を5年くらい続けてきたので、
私はそういう書き方をする人間なんだなってことがわかってきた。

最初にプロットなりノートなりを書いて書くときは一気に書く人もいるが、
私はそうではなく、ひな形みたいな作品をまず書き上げて、それから肉付けしていく人なんだな、
ってことを書きながら気付いた。

むろん、小説自体のできもこれまでよりは良いつもりだ。
良い、というより「小説」としての体裁を具えている、という感じかな。
良いものを書いた自信、というのとも少し違う。
小説としての体裁を考えずにがーっと書いてたころの作品のほうが良いかもしれない。
でも今はもうそんな純粋な気持ちでは書けない。
長編だと特にそうだ。
どうやって読者に読み続けさせようかみたいなことを考えながら書く。
自分が何を書きたいかということよりもそちらのほうが書いてて気になる。
たとえて言えばピタゴラ装置を作っている気分。
あーここで玉が止まっちゃうとか、ここで読者読むのやめちゃうよなとか、
いつの間にかそんなことばっかり気にしてる。
まあしかし、それが小説の体裁というものなのではないか。
最初は自分しか読者がいなかった。
世の中に自分が読みたい本がなくなったので自分で書くことにした。
自分のために書いたから自分で読めば面白いに決まっているのだが、
他人が読んでも面白いほうがよいに決まっている。
ただ他人が読んで面白いものというのは、私が飽きてしまって読まなくなったようなものなので、
そこの折り合いをどうつけるか。
自分にとっては面白くもなんともないが、
他人には喜んでもらえるピタゴラ装置を延々と作ってもむなしいだけだ。

エウメネス2 ― イッソスの戦い ―

最初は「エウメネス2」か「イッソスの戦い」かどちらにしようか迷ったが、結局間をとって「エウメネス2 ― イッソスの戦い ―」とした。

図版無し90枚くらいのはずが、図版あり225枚くらいになった。かなりの大作だ。最終的には250枚くらいになるだろうと思う。

「イッソスの戦い」がメインなのだが、だんだん書いていて「テュロスの戦い」もけっこういけるんじゃないかなと思えてきた。この「テュロスの戦い」だが、あまり深く掘り下げて書いたものはなさそうだ。むろん、イッソスにしろ、テュロスにしろ、アッリアノスの「アレクサンドロス東征記」を下敷きにしているわけで、こちらのほうが細かいといえば細かい。しかしほかの文献で補完したりしてかつ私なりの脚色と考察を加えているわけだから、私のほうが詳しいといえば詳しい。割と良い出来だと思う。

先に書いた『エウメネス』だがだいぶ整合性がなくなってきたので、少し書き換えた。少しだけだけど。最新版ダウンロードはアマゾンに個別にリクエストしてください。すみませんが、よろしくお願いします。変えたところというのは、まず、カルディアというポリスのことを誤解していた。カルディア == トラキアのケルソネソス半島だと思っていた。実際にはケルソネソス半島のごく一部。また、エウメネスの母をトラキア人としていたのだが、フリュギア人に統一。

しかし、『ヒストリエ』ではなぜエウメネスをスキュタイ人としたのだろうか。たぶんプルタルコスの『対比列伝(英雄伝)』の記述に引っ張られたんだと思うが、『対比列伝』は、ローマ人についてはともかくとして、ギリシャ人の記述は民間伝承レベルで、決してよろしくない。と思う。ヨーロッパからみたスキュティアは今のウクライナ辺りになるのだが、北方のトラキア人を広い意味でスキュタイ人と言ったのだろうか。そうかもしれんね。

もうほとんど完成したと思うんだが、出版予定日は繰り上げずに予定どおりやると思う。
こまごましたところはゆっくり直していけば良いと思うんだけどねえ。KDPなんだし。

ちょっとだけネタばらしすると、テュロスの戦いですごいのは、おそらくアレクサンドロスが世界で初めて「投石器を搭載した軍艦」を建造し、実戦に投入し、これによって勝利した、ということだと思う。誰か前例を知ってたら教えてください。無いと思うけど。
それまでの海戦はだいたい軍船どうしの戦いだったはずだ。一日で決着がついた。しかしテュロスの戦いは軍船による島の上に建てられた城の包囲戦だった。こんな戦いがテュロス以前にあったはずがない。これがゆくゆくは米海軍による黒船襲来、マニラ艦砲射撃へとつながっていくわけですよね。もちろん軍船の上で弩を使って撃ち合った、というようなことはあったかもしれんが。

でまあ、私としては、テュロスの戦いはもっと注目されて良いと思った。と言っても、イッソスの戦いですら、日本ではあまり話題になることがないのだよね。

あと一気に読むのは長さもあって辛いと思います。私も校正してて気絶しました。地名や人名がたくさん出てくるのは勘弁してください。そういうところは流し読みしていただけると助かります。

これを当てて、ゆくゆくは総集編を出したいよねえ(笑)

あ、あと、アマゾンが 50pt 付けてくれてるのはありがたい。

amazon.co.jp ではなく、
amazon.com や
amazon.fr で読んでもらっている人が、
もちろんそんなに多くはないが、
いるらしく、
非常に光栄だ。

特にびっくりしたのは、海外の人で、
内親王遼子をリリースした直後にオーナーズライブラリーで読破した人がいるらしいということ。
と同時に非常に恐縮した。たいへん申し訳ない気持ちだ。
というのは、
6月4日にリリースして20日くらいまではけっこういじってたからだ。
その間に200枚が260枚くらいに増えたんじゃなかったかな。
挿絵も微妙に増やしたはずだ。
まだ誰も読んでないはずだと思って。

amazon.co.jp しか見てなくて気がつかなかった。
私自身あまり KDP 作家どうしつるむことがなく、一人で勝手に書いている。
どちらかと言えば、今の日本人ではなくて、外国人や未来の読者のために書いている気持ちだ。
NHKの大河ドラマみてツイッターでわーっとパズる感じ。馴れ合い。あれが嫌いなのだ。

たとえばだが、読者や、他の作家とキャッチボールをやるような感覚で、
定期的に作品を発表していく。
そういうやり方を私はしていない。
勝手に書き、勝手に書き換え、勝手に延期したりする。
申し訳ない。
でも少しだけ救われた気持ちになったことをここに書いておく。

今回分かったことは、

* 無料キャンペーンはやらなくて良い。
* とりあえず出版して、無料キャンペーンやるまではいじる、というやり方は良くない。
* 最初から完全版を出す気持ちできちんと書く。
* リリースできないなら延期する。
* amazon.co.jp 以外もちゃんと見る。

ということだろうか。

惨敗ですよ、惨敗。

5日間の無料キャンペーンの途中だが、もう打ち切っても良いんじゃないかってくらい、
ダウンロードが少ない。

やはり、当初の予定通り、特務内親王遼子3はマンガで出すべきだった。
マンガで出して多少話題性が出れば、そこで小説で完結編を書けばよかった。
しかしまあ自分の中では「原作」を「完結」させることの方に気持ちが傾いてしまった。

「原作」を書き、そこから「シナリオ」なり「ネーム」を書いて、
さらにマンガにしようとしても、ならんわな。
原作をそのままマンガにしようとすると、膨大な背景や小物や登場人物が発生してきて、
作業量的に絶望してしまう。
だから原作は原作として置いといて、マンガは「スピンオフ」とか「外伝」みたいにして作るしかない。
我々はそういう原作のことを世界観などと言うことがある(笑)。
世界観はしかし普通は作者の頭の中にだけあるものであったり、
現物はせいぜいイラストレーション程度しかなかったりするのよね。
というのはふつうの人は一本の小説という形で完成させることはないから。

ましかしもう五年以上小説書いてあちこちに発表しているのに、
私は読者を、固定客をほとんど獲得できてなかったのだからもうこれは仕方ない。

思うに、誰も鶏を飼ってないところで鶏を飼い始めると儲かるが、
みんなが真似して鶏を飼い始めると赤字になる。
同じことはラーメン店でも小説でも言える。
今は誰でも小説書いて発表できるようになった。
KDPの初めの頃は自分もアマゾンで小説売れるようになったってのは少し珍しかった。
しかしいずれ電子の海に埋もれる日が来るってことはわかってた。
もうすでにそれは来た。

誰も鶏を飼わないうちに鶏を飼い始めた人というのが漱石や鴎外なのだよね。
ただ、文芸の場合、いったん古典となってしまうと、
古典は良い悪いという以上の拘束力と影響力を持つから、
強いのよね。それは学術論文と同じ理屈で説明できると思う。
多くの読者を獲得することは力なのだよね。
それは歴史的な継続性を持つ力。

いまも「エウメネス」だけはときどき売れる。
しかし「エウメネス」を買って読んでくれているのは「私の読者」ではない。
エウメネスが出てくる某マンガを読んでいる人たちというのに過ぎない。
エウメネスは私が書いたものの中では割と初期で、
その後何度も書き換えたから、まあそんなに悪いものではないが、
私が書いたものの中でベストだとは思ってない。
で、エウメネスなりなんなりを読んで私の読者になってくれた人。
ほとんどいない。
それはもう結論が出ている
(同じくシュピリの読者は私の読者ではない)。

売れるか売れないかということで言えば需要と供給の関係でしかない。
チラシの裏か裏でないかということも同じだ。
KDPとかpixivとかが出てくる前は、私たち素人にも、
いや出版業界の玄人でも、本だけは違う、良いものを書けば売れるはずだ、
という幻想があったのかもしれない。
しかし電子出版の現実を直視すれば、本もラーメンも鶏も同じだってことは明らかだ。
都議選ですらそうだ。

例えばスタンダールの長編小説だってああいうのがかつては需要に対して、
供給が追いつかなかったから売れたわけだ。
今も多少は需要があるだろう。しかし供給が多すぎる。
供給が多すぎる状態で有効なのはマーケティングだろう。
KDPもまたすでにマーケティングが成熟してきている。
じゃああなたもちゃんと投資してマーケティングやりますかと言われて、
やるはずがない。それは私の仕事じゃない。

昔ダウンロードしてくれてた人も実際には読んでさえいなかっただろう。
今回ダウンロードした人は一応読む気でダウンロードしたのだと思う。
その実数が見えた気がする。

まあ、この五年間で経験値だけは少しあがった。
今まで書いてきたものは遺言代わりくらいにはなるだろう。

文芸は映像や音楽とは違う。
しかし必ずしも棲み分けているわけではない。
セリフの無い手描きアニメーション作品とかPVみたいな小説を書く人がいる。
例えば村上春樹なんかはそうかもしれない。
それもまた文芸である。
そして音楽やアニメーションが好きな人は、
くどくどした台詞や説明がないそういう「空虚」な小説を好むだろう。

台詞や説明が多いアニメーションを揶揄してセツメーションというらしい。
台詞が無いアニメーションの方が高級だと考えているアニメーターは
(非商業アート系には特に)多い。
私は今までそういうものに鈍感だったかもしれない。
今まで文芸作品は文字や台詞だと思ってた、
映像や音楽とは別のメディアで表現手段だと思ってたが違うかもしれない。
ある程度書いて書き込んでみて読者の反応をみたからわかったことだ。
でまあ、20歳くらいで作家デビューするような人は(もともとそういう環境にいて)、
そんなことは最初からわかっているはずなのだ。

もちろん説明や台詞のないアニメーション作品にはある種の限界がある。
私はそういう限界を好まない。
二人か三人しか登場人物がいなければ台詞は無くとも作品は成立する。
メッセージを伝えることはできる。
私が書きたいものはどちらかといえばそういうものではない。

そういう意味では和歌のほうが、私はもっとずっと前から詠んでいたので、
少し実感しやすい気がする。
もう30年間、途中長いブランクがあるが、和歌は詠んでいた。

特務内親王遼子

特務内親王(完結編)は無事出版されました。
まだ多少手直しするかもしれませんが、読もうと思えばもう読めます。

400字原稿用紙(一太郎計算)で言うと200枚、Kindle換算で118ページなので、
「エウメネス」や「巨鐘を撞く者」「将軍家の仲人」などよりは(少なくとも文章量と挿絵に関していえば)お得感があると思います。
「安藤レイ」より長いので、私にしてみればけっこうな長編ですね。
ただまあ kindle 換算はあまりあてにはならないんだけど。
三章に分かれてて、第三章が半分くらいある。
第二章はかなり加筆した。
第一章はほとんどそのまんまだと思う。

無料キャンペーンをやるのはよりたくさんの人に読んでもらい、新しい読者を獲得し、
できれば良いレビューを書いてもらうためなんだろうけど、
もう4年ほどKDPで出してきて、今更効果もなさそうな気もするんで、
基本放置しとくことにします。
たぶん読む人は読むし、レビューを書きたい人は書くし、あまりキャンペーンは関係ないんじゃないかと思う。
昔はともかく今は。

特務内親王遼子完結編

もう文章はほぼ書き終えた。
あとはどのくらい文章に厚みをつけるか、挿絵を増やすかだが、
結局、どんなに頑張っても、小説なんてものは読んでもらえないんだってふうに近頃は思えてきた。
ヨハンナ・シュピリに関して言えば、彼女のハイジ以外の作品を読んでみたいという人は多く、それに対して翻訳する人が少なかったので多少売れたのに過ぎない。
普通の小説にしても、書く人が少なくて読む人が相対的に多ければ本は売れるはずだが、
書く人が多すぎるから売れない。
小説の需要自体、大して増えも減りもしないが、書きたい人が大勢いるから一人一人の作家のもうけは少なくなる。
アニメ・マンガ業界と同じ。

がんばってCGで挿絵を増やしてできればマンガにして出したかったが、
たぶん無駄な努力だと思うからこのくらいで出そうと思う。
特務内親王遼子1はPDFで無料で公開していたが、これも公開をやめる。
2はKDPで出していたが、これも出版停止する。
1から3まであわせたものを近日中にKDPで出版する。
我ながらうまい具合に完結させた、400字原稿用紙換算で200枚ほどで、良いできだと思うのだが、期待してもしかたない。
まあ、期待しないでしばらくお待ちください。

思えば私はこういう「プリンセス」ものを今までいくつも書いてきた。
「エウメネス」のアマストリナはそうだし、「エウドキア」はそのまんまだし、「将軍家の仲人」の喜世もそうだし、
「西行秘伝」の源懿子もそうだ。
だが根っこにあるのはディズニーのプリンセスものみたいなアメリカナイズされたステレオタイプに対する反発であり
(と同時にNHK大河ドラマ的ステレオタイプに対する反発でもある)、
そこからひねって和風の皇女にしてみたり、
ペルシャ王女にしてみたり、東ローマの女帝にしたりしている。
少しだけ主流から外す。
しかし主流から外れているというのは今のテレビドラマ的ハリウッド的価値観から外れているだけのことで、
いずれもそれぞれ主流たり得る、つまり小説となり得る価値がある、そういうものを「発掘」している気持ちで書いている。
「エウメネス」は外したつもりだったのに同じ主人公のマンガがあって少し売れてしまった。
なんか不本意だ。

竹取物語や源氏物語に限らずお姫様は昔からたくさん話に出てくる。
しかし「内親王」と呼ばれることはない。「内親王」という呼び名は奈良時代にはすでにあったのにも関わらず、だ。
そういうところもこだわりなのだが、一般読者には通じないかもしれない。

あちこちきどって加筆してみた。出だしはこんなふうになるはずだ。

> 何の恨みがあるかはしらないが、こんな風向きの日にはきっと馬賊が出る。
悪天候は彼らの宴の合図だ。
猛禽が山から舞い降りてきて、地上の獲物を掠め取っていくように、山に棲む馬賊どもが、農家の子羊を略奪し、酒盛りの肴にしてしまうのだ。
砂漠に隣り合わせの痩せた土地で、そのうえ匪賊まで出る。誰の記憶にも残ってない遠い昔、ここに住んでいた原始人が、あるいはもっと太古に、この平原を闊歩していた獣たちが犯したとんでもない罪のために、この土地は罰せられているのに違いない。こんな日に哨戒に出る稗島は、そんなふうに思わずにはいられない。
砂埃にまみれた霜が強風で舞い上がり、厚くよろった防寒具の上から肌にたたきつけてくる。

あるいは

> こんなにも王族にふさわしくない私がか。こんなにいいかげんでおっちょこちょいで自分勝手で移り気で。男にだらしなくて、男にすぐ騙される私が、よりによって、民の君にならねばならないのか。

というような台詞もある。