西行再説

西行の歌西行などを読み返しているのだが、

身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

または

世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

または

惜しむとて 惜しまれぬべき この世かは 身を捨ててこそ 身をもたすけめ

などはおそらく後世、西行の名をかたった偽作であろう。西行は民衆に仏道を説くような人ではなかったし、こういう露骨に抹香臭くお説教臭い歌を詠む人ではなかったはずだ。西行は悟りを開いて魂を救済されたい、現世は嫌だ、死後の世界で救われたい、などと思っていたのではないはずだ。俗世に未練たらたらな人だったはずだ。たとえば

世の中を 捨てて捨て得ぬ ここちして みやこはなれぬ 我が身なりけり

まどひきて 悟りうべくも なかりつる 心をしるは 心なりけり

などのような歌こそが西行の歌であるようにおもわれる。

「俗世を捨てて出家する人は、自分を捨てたのではない。後の世で救われるのであるからむしろ自分を拾ったのである。自分を助けたのである。現世で世を捨てぬ人は、あの世で自分を捨てているのである」とか。「この世は惜しむほどのものだろうか。この世を捨てて、出家して、身を捨てればこそ自分を助けることになるのだ」とか。こうした厭世観というか現世否定とか浄土思想とかあるいはあからさまな布教活動というものは西行には似つかわしくない(西行という名前には明確な浄土思想を感じるけれども)。だがたとえば兼好ならこんなふうな歌を喜々として詠むに違いない。

小林秀雄はもしかすると、出家した直後の西行は俗世に対する執着心が捨てきれずに、それゆえ「馬鹿正直な拙い歌」を詠んだりもしたのだが、修行して悟りを開いてからは達観した歌を詠むようになったのだ、世の無常を知り悟りを開いたので、はかなく散る花や空を流れる雲の美しさを詠めるようになったとでも思ったのだろうか。

そうではあるまい。西行は出家する前も、出家した直後も、老いて死ぬ直前も、女々しい男であった。あくまでも人間的な、迷いを捨てきれぬ人だった。私はそう思う。そうでない歌は、西行の名を借りて仏教を広めようとする偽者が詠んだ歌であると思う。果たしてどちらが真実であろうか、悟ろうとして悟り得ない愚かな人間と、行いすまして悟りを目指し、人をも悟りへ導こうとする人と。他人の名声を盗用してまで己の教えを広めてもらいたいとは仏陀も思ってはいるまい。

万博の思い出など

浅草。まあだいたい見るべきものは見終えて、しばらく休館してた樋口一葉記念館にも行った。一葉の直筆の手紙や原稿などがすごいなと思った。あんな原稿を昔の人は読んで活字にしていたのだ。もっと悪筆な人もいたに違いない。台東区立図書館にある池波正太郎記念文庫で見た、池波正太郎の原稿であったか、最近見たやつで、ほとんど判読できなさそうなものがあった。あんなの読まされる編集者はたまったもんじゃないなと思う(一葉の文字は達筆すぎて私には古文書解読と同じ。決して悪筆ではない)。

その後、三ノ輪、町屋、熊野前あたりまで、荒川線に乗りながら散歩したんだが、この辺りには禁煙の飲み屋というものはいまだ存在しないらしい。ラーメン屋や焼き肉屋には禁煙もあるが居酒屋はそもそも禁煙か喫煙可能かの張り紙すらない。こういうのは東武野田線沿線でもみた。

上野や浅草、北千住は少なくとも禁煙か喫煙可能かの張り紙くらいはある(中には禁煙と喫煙可能両方貼ってるふざけた店もある)。つまり警察か役所か保健所か何かが見回りにきて指導しているのだろう。浅草なんかはいち早く、自転車で来た客には酒は飲ませない、もしくは自転車で来るなという張り紙が貼られたが、これもやはり警察が一番に浅草に来て指導しているからだろう。警察だってひまじゃない。町屋あたりの個人経営の店にはいちいち小言を言いに行くことはないのだろう。曳舟や東向島あたりのほうがまだちゃんとしている。

そうやって最近はあちこち飲み歩いていたがいいかげん飲み疲れてきた。夕方とくにすることもないので東武ストアで適当につまみを買って家飲みすれば午前三時には目が覚める。皿洗ったり洗濯物かたづけたり。あれこれやって七時頃にはたいていやることはなくなっている。

まあこんなもんでいいんだろうと思う。何もやることがないってことは良いことだ。そう思えば良い。

土曜日はダメだ。どこもかしこもなんかざわさいている。隣人がベランダでタバコ吸ったり廊下で立ち話していたり。週末なんてものはどこにいこうが居心地が悪い。週末こそ一人で会社にいたほうがましかもしれない。そして平日自宅やアジトでのんびり過ごす。

ユーチューブは毎日見てはダメだな。一週間に一度くらい新作にざっと目を通すくらいでちょうど良い。作業用にだらだら流すならクラシックくらいに限定するのが良い。

両親が二人で、子供を連れずに大阪万博に行ったのが悔しかったのを覚えている。まだ五才だったはずだ。そのお返しのつもりか沖縄海洋博には連れて行ってもらえた。ずっと砂浜で遊んでた。二日目は予定変更してバスツアーになった。私は不満だったが大人たちはみんな喜んでいた。なんとかという鍾乳洞に連れられていき、それなりに面白かった。道ばたでサトウキビを売っていて食べさせてもらえなかったのを今でも恨んでいる。別にまずくてもよかったのだ。どんなものかが知りたかったのだ。しかし買ってもらっていたらもうとっくにそのときのことは忘れてしまっていただろう。買ってもらえなかったからいまだに根にもって覚えているのだ。しかし今となってはそれも父親との貴重な思い出の一つだと言える。

大阪万博跡には大学受験の時に初めて遊びに行った。太陽の塔はあったがほとんど芝生の更地になっていた。ビデオテークというものがわずかに残っていた。ローマ字で Videotēku と表記されていて馬鹿にされた気になった。

フランス語の Bibliotheque から来ているのだろう。もとはギリシャ語で βιβλιοθήκη。

せめて Videotheque もしくは Bideotēku とすべきではないかなどと思った。その展示内容も今から見れば全然面白くもなんともない。1970年の大阪万博のパビリオンなんてものは今からみればただの張りぼての見世物小屋みたいなもんだろう。

愛知万博には取材に行った。サツキとメイの家以外にはまったく興味がなかった。あんなところにわざわざ人混みの中出掛けていく必要は無いと思った。もう20年も前のことになる。つまり私は当時40才だったということだ。

今の大阪万博。もちろん私には興味がない。しかしながら子供には面白いのかもしれない。

子供の頃行った熊本にある三井グリーンランドというところは面白かった。今行けばたぶん大したことはないのだろう。多摩ニュータウンのキティランドや、よみうりランドには行ったことがある。まあ、どうってことはなかった。ハウステンボスには2度行ったことがある。まあ、1度目はそれなりに楽しかったかな。ロサンゼルスのユニバーサルスタジオには行ったことがある。まあまあ面白かった。ディズニーランドには絶対行かないことに決めている。ディズニーが嫌いだからだ。

浅草ホッピー通りのたぬき、昭和46年創業とあるから、今年で54年、女将さんは創業当時からここをやっているというのだから、70才は当然超えているのだろう。この店平日は15:00からしか開けない。15:00きっかりに開くというわけではなく、17:00過ぎないと開かないこともある。昼飲みしたい客(私のような)には困るがそういう店なのだから仕方ない。実際平日は周りの店は先に開店していて、道に呼びこみも立ってないから平日の早い時間帯はガラガラだ。だが私にはそれが心地よい。google maps のレビューには女将さんが怖いとか注文を間違えるとかいろいろ悪く書かれているがそりゃこの店がめちゃめちゃ混んでるときに来るからだろう。食べ物も飲み物も高いというが、安い飲み屋なら上野に行けばいくらでもある。ここ、たぬきは唯一無二の店だと私は思う。この店はホッピー通り界隈でもっとも古い店、というわけではないらしい。そりゃそうでこの通りには昭和46年頃にはすでにもつ煮や牛すじの店がたくさん建ち並んでいたのだろう。

このピンク電話というのだろうか(正式名称は特殊簡易公衆電話というらしい)。今ではたぶんNTTはこんな古い型の公衆電話をできるだけ運用したくないのに違いない。だからアレも使えません、コレも使えませんと張り紙がしてあるけれども、店主の女将さんは、いやまだ普通に使える、と言っている。ためしに使ってみようかと思ったけど使い道がないのでとりあえず今回はやめておいた。

ほかにも君塚食堂に行ったりする。ここは17:00に閉まるので、15:00くらいから飲みたいときには良い。もちろん土日は混んでいる。あとはほていちゃんくらいか。いずれも禁煙なのが良い。

ついでだが、上野公園の東照宮第一売店。一度は行こうかと思っていたが、まあ普通。

阿部一族

武士にとって名前を残して死ぬことがすべてである。

私もなぜかいつの間にかその考え方に感化されていたようだ。森鴎外は明らかに武士であるが夏目金之助こと夏目漱石はその趣味や嗜好はともかくとして、まったく武士ではなかった。

森鴎外がなぜあれほどまで阿部一族で、いろんな人をサーベイして事細かに記録したかといえば、鴎外自身が武士であったからだ。彼は小説が書きたかったのではない。自分の小説が後世まで残る確証をすでに得ていた鴎外は、自分の小説に彼らの名前を記載し、彼らを永遠に人の記憶に残しておきたかったのだ。彼らを顕彰したかったのだ。

森鴎外にとって面白い小説を書くことなどなにほどのことでもなかった。おそらく鴎外は自分が売れっ子作家になろうという気持ちもなかった。彼はなすべきことは十分にやりすぎるほどなし終えていたから、さらに小説家として名声を得たいとおもっていたかどうか。

彼にとって、歴史に名を残すという仕事はもうし終えていた。だから、人に読まれ喜ばれる小説を書こうなどという気持ちはなかった。ただ阿部一族の人々を未来永劫、日本人の記憶にとどめる。そのためにだけあの小説書いたのだ。

いつもの米

久しぶりに浅草のアジトに戻ってきた。

例によって吉原ビッグエーに朝の買い出し。米が安くなってないかな、ベトナム米でも入ってないかなと期待したが、いつものお米あかふじしかない。5kgで値札は3980円と書かれていて、しょうがないなそろそろ買うかと買ってみるとレシートの金額は3480円となっている。たぶん値札を書き換えるのを忘れただけだろう。レジの店員は忙しそうだったのでそのまま帰った。

ここの、いつものお米とかちょうど良い牛乳とか買っておけば特に問題なし。

米が不足して値上がりしているというけれど、では関税を下げてアメリカからカリフォルニア米を輸入して、あるいはベトナム米を輸入して、安く流通させようという考えはまったくないらしい。現代のように、貿易が正常に行われていれば、日本でいくら作物が不作でも飢饉になるということはありえない。ただ単に米の減反政策と、在庫と、買い占めと、流通の問題で米が高くなったり安くなったりしているだけで、米が食えなければ麦を食えば良いという状況で、いろんな法令と、いろんな圧力団体があって、国が米の価格を強制的に変動させるなんてことはできないのだろう。

思うに米なんてものはブレンド米で十分だと思う。なぜわざわざ産地や品種にこだわるのだろうか。昔はそうする必要があったかもしれない、超高級な米ならそうすべきかもしれない。しかし現代普通に食える米を食べるだけなら、上手い具合にブレンドした米を食べれば十分ではないか。そんなに味の違いがあるだろうか。

トランプ関税2

トランプが関税をかけたので株が暴落した、円高になった、確かにそりゃそうであろう。しかしトランプは単にきっかけを与えただけだと思う。相場をかき回す人がいても、経済がほんとに悪いのであれば株は下がるだろう。経済が悪くなければ下がっても反発するだろう。それだけのことではないのか。日銀総裁だろうがアメリカ大統領だろうがFRBだろうが、口先介入程度でそんなに経済に影響を与えられるだろうか。どうもFRBは今まであまりにもアメリカ経済を粉飾していたように思える。それをトランプが蹴っ飛ばした。みんなわーっと驚き騒ぐだろうが、長い目でみれば落ち着くところに落ち着くしかない。日本のバブルにしても、あれはあまりにも不健全すぎた。日本に蓄積した負債のせいで20年もデフレが続いた。近頃やっとそれも解消してきた。日本はけっこうまともになってきたと思う。長い長いデフレで非効率な社会システムがだいぶ死に絶えた。もし経済が健全ならこれくらいのことはなにほどのこともあるまい。

私はこの際カリフォルニア米やベトナム米の関税を0にしても良いと思っている。零細な個人の米農家は死ぬしかあるまい。カロリーベースの自給率も下がるだろう。しかし市場も農業も絶対健全化する。非効率で不公平な経済や社会は、多少荒療治しても、なくしていくべきではないのか。

日本は戦後米を増産しようとして八郎潟や諫早湾を干拓しようとした。平らで広い田んぼができれば稲作を効率化できる。でもみんなでよってたかって諫早湾干拓を潰してしまった。そういうことばっかりやってきたのだから、その報いは受けなくてはならない。減反すべきは零細農家なのである。多くの商店街はシャッター街になってしまった。しかし零細農家は今も兼業農家となって生き残っている。どうにかしたほうが良いに決まってる。

たとえば、みずほ銀行や伊勢丹なんかはもともと上がりすぎていたから下がっただけのように見える。ローランドなんかは誰のせいか知らないが投げ売りされて下がりすぎているようにみえる。一気に投げ売りして狼狽売りさせて下がりきったところで買い戻そうとしているのではなかろうか?ローランドはどうも大手の仕掛け人がいて、そいつらが好き勝手上げたり下げたりしてもうけているようにみえる。ローランドは別に急に利益が出たり、急に損失を出したりする会社には見えない。それなのにやたらと株価が上下する。動きが荒すぎる。実に怪しい。

カヤックなんかは、もともと儲かってるのか儲かってないのかよくわからない小さな会社なので、世の中の雰囲気に翻弄されているようにも見える。そのほかとりあえず今は売りだろうなって雰囲気で売られているものも多いように思う。

円高になったのだからスーパーやドラッグストアの株は上がってもよさそうなものだが、やはりこれらもつられて落ちている。だがあまり大きくは落ちてない。たとえばイオンは周りに引っ張られて落ちてはいるがあまり落ちてない。逆にセブンは近頃あんまり評判が良くないから落ち方もすさまじい。

キッコーマンは一本調子で上がっていたように思っていたが、今見てみると案外上下している。

アメリカや中国、ヨーロッパに比べて日本は製造業がしっかりしてて経済もそんなに悪くはないと思っているから、私はあまり気にしてない。アメリカはどこか無理がある。金融工学で見た目だけまともに見せている病人のように思えてしかたない。不健全で不健康に見える。IT株やAI関連株、EV株なんかはこれから先落ち目になるのではないか。というかそんな虚業はそうなってほしい。

ともかくもまともな会社の株は下がってもまた戻るし、まともじゃない(わけもなく株が高くなっている)会社は下がるだけのことだと思う。米も卵も適正価格までは上がれば良い。株も適正価格まで下がればよい。結局市場が決めることだ。

アップルウォッチとかジャーミンなんかより私はカシオを信用している。カシオは何か奇抜なことをして金儲けしようとはしていない。地道に時計を作り続けている。だからカシオの株が下がっても私はきにしないことにしている。

ともかく今はバーゲンセールで買い時なのは間違いない。慌てて高値で買わぬようにせねばならぬ。

韓国の大統領にしろアメリカの大統領にしろ、戒厳令発令したきゃすりゃいいし、関税かけたけりゃすりゃあいい。本来それが大統領制であり、民主政というもんだろ。ごちゃごちゃ言わず権限の範囲で好きにさせればいいのに。

幸福論

世の中には哲学というものがある。その哲学のおそらく中心的な部分に幸福論というものがある。人はどうすれば幸福になれるかということを延々と語っている。語りたがっている。自己啓発本なんかもだいたいはこれの一種だ。宗教も結局は幸福論の一種だ。

幸福かどうかなんてことは単に脳の中の特定の化学物質の過多の問題であって論じてもしかたない。幸福を感じていてもはたからみれば不幸な人はいくらでもいる。不幸を感じていても客観的にみれば十分幸せな人もいる。

そもそも幸か不幸かなんてことは死んでしまえばそれでおわりだ。今現在感じている苦痛をどうするか。それは幸福論以外の何かが解決してくれることだろう。

なんでまた世の中ではこんなに哲学なんてものがはやっているのだろう。これまでどれほど無駄な議論が費やされてきたか。空理空論が積み重ねられてきたか。人類の大いなる浪費というべきではないか。

それはやはり、世の中で競馬やパチンコが流行るようなものではないか。人間とはそうした習性をもつ生き物なのだからどうしようもない、度しがたいものではないか。

どうもみんなおかしなことをいっているだけように思えてしかたない。

「徒然草」などもどうでも良いことをただくどくどと熱く語っているだけのように思える。幸福になろうという一切の希望を捨ててしまえば済むだけのことではないか。

トランプ関税

勝ち馬投票券というように競馬は一番勝ちそうな馬を買う。パチンコだと一番出そうな台で打つ。

これを株で言えば、一番値上がりしそうな株を買う、一番値下がりしそうな株を売る、ということになるのだが、これ、儲かりそうで一番損するやり方だろうと思う。一番値上がりしそうな株を売って、一番値下がりしそうな株を買う。これをやらないと株はもうからん。下がったらさらに買い増しする。理屈で言えばそうなるが、なかなか心理的抵抗があってできない。今、トランプ関税のせいでバチボコに株が下がっているところでさらにナンピンする。たぶんそれが正解だが、じゃあどのくらい安くなれば買えばよいのか。まだまだ下がるんじゃないか。まだ下がってる途中なのじゃないか。

上がってる途中の株を買うのも、下がってる途中の株を買うのも、損するときは損するし、得するときには得する。

何が言いたいかといえば、競馬やパチンコなどの博打と、株では、心理的抵抗の向きがたぶん真逆なんだということ。どちらも下手くそは、得をしようとして結果的に損しているだけのことなんだが、博打は買うときはわくわくして、外れるとがっかりする。株はそもそもいつもひやひやしながら買っている。みんなが期待に胸を膨らませ頭に血がのぼっている勢いで人は馬券は買う。逆に株はみんなが意気消沈している時に買うのが良い。

株をわくわくしながら買っている人というのはつまりS&P500とかNYダウなどが永久に値上がりし続けると思っているような人だろう。今まで10年ほどはだいたいそうだった。100年スパンでみれば確かにそうだ。S&P500はしかし10年間ずっと下がっている時もある。私は日本がバブルでアメリカ経済が低迷している頃を経験している。アメリカ経済とかS&P500なんてものはまやかしなんじゃないかとも思っている。結局日本の製造業が一番着実で安全なのではないかと思っている。だから今はあんまりぱっとしないカシオなんかをコツコツ買ったりしているのだ。

いずれにしろ今トランプがやっていることは過冷却状態になっているところへ外からわざと振動を与えているようなもので、それでトレンドが変わるのであれば遅かれ早かれ、トランプがやろうとやるまいと起こっていたことであり、トランプのせいというよりは、ここまで経済をこじらせてきたアメリカという社会のせいというしかあるまい。日本のバブルが総量規制ではじけたようなことがアメリカで起きないとも限らない。それならそれでしかたない。

いずれにしても今、日本では、企業の業績が悪くて株が下がっているのではないのだから、安ければ買いであろうと私は思っている。実際、上がる株は上がっている。伊勢丹やみずほ銀行のように上がりすぎた株は下がるであろう。しかし同じ金融でもトマト銀行などは大して影響を受けていない。

二発目以降もよく売れた一発屋

森鴎外は長編も書くが短編も書いている。芥川龍之介だって、菊池寛だって、中島敦だって、志賀直哉だってそうだ。みんないろんなものを書いているが、夏目漱石はほとんど純粋に雑誌か新聞に連載する小説しか書かなかった。

普通小説家になろうとする人は短編か中編を書いてみて、だんだんに長くしていって長編小説を書くものだろう。漱石はいきなり長編を書いた。ずいぶんおかしな人だと思う。これもやはり連載小説という形であったからそうなっただけだとしかいいようがない。

漱石は『猫』以降も、基本的に長編小説しか書いてない。『猫』『坊っちゃん』が雑誌「ホトトギス」連載、『草枕』も雑誌連載、次の『二百十日』は『草枕』の続編か何かのような、熊本の山の中をただ歩きながら登場人物二人が会話ばかりしているへんてこな中編小説。その次の『野分』は「ホトトギス」連載。その後は全部朝日新聞連載。

処女作の『猫』がとにかくいきなり長い。最初は一話読み切りのつもりで、試しに書いてみたんだろうが、好評だったからなし崩しに連載になった。上巻、中巻、下巻と三部に分かれていて、猫が死んで終わりにしたのに、まだ続編を書いてくれと言われたと下巻の序に書いてある。とにかく読者からの要望が多かったからこんなに長い話になったのだろうが、これといってストーリーがあるわけでなく、だらだらと続く話だ。同じことは『坊っちゃん』にも『草枕』にも言えるだろう。

漱石も『こころ』あたりまでくるとちゃんとあらかじめしっかりストーリー構成して計画的に書いているが、『猫』はそうではない。まったく無計画に書いている。『草枕』もストーリーは基本なくて、書きたいことをただ書きたいように書いてみて、それで読者の反応を見ている感じ。『二百十日』はさすがに読者ももうわけがわからなくて、書いている本人もわからなくて、あんな落語か漫才の出来損ないみたいな話になった。

あとから朝日新聞に連載した作品群はともかくとして、基本的に漱石という人は一発屋である、というより二発目以降もよく売れた一発屋という性格の作家であって、人に言われるがままに書いて、それがなぜか毎度好評だったので、書き続けるしかなかった。彼はきっとなぜ自分が小説家のようなことをやっているのか最後までわからなかったのではないか。

当時は病弱で短命な人はいくらでもいたけれども、漱石もやはりそうした一人であって、小説を書き出した頃にはすでに相当病んでいたが、売れっ子作家になり、朝日新聞専属作家になったあとにますます症状が悪化して、死を意識しなくては作家活動もできなくなってしまっていただろうと思う。もしかして創作活動をきっぱりやめてしまえばもう少し長生きできたのかもしれない。そうした創作活動で精神をやられて体を壊してしまう人だったのではなかろうか。自分の好きな物を書くのでなくて、読者の評判を気にしすぎていたのかもしれない。一生熊本辺りで高校教師をしていたほうが楽しく暮らせたのではなかろうか。

自分の話をすると「エウメネス」も最初は、ゲドロシアの沙漠で兵士が捧げた兜一杯の水を捨てる話をメインにした短編だった。ところがこれが良く売れるので続編を3巻目まで出した。それでもまだ売れ続けたので切りのよい6巻目まで書いたのだった。必ずしも長編を書きたかったわけではなく、短編は中編も書いてはいたが、反応を見てだんだんに長編も書くようになった。逆に何の反応も無しに長編を書くことなんかできないと思う。

小説を書き始めたきっかけというのは、もう何度も書いているが、宮本昌孝『義輝異聞』を読んだからだった。ああこういうものを書いてもよいのか、こういう題材であれば私にも書けそうだという気になり、「将軍放浪記」というのを書いた。それより前に「アルプスの少女デーテ」などというものをちょこっと書いたこともあったのだが、何よりも私はたぶん、頼山陽とか本居宣長なんかにはまっていた頃だったから、そういうものをそのまま小説に書くのもありなんだなというとっかかりになった。一度書き始めると現代小説なども書いた。人が書いたものを読むだけというのにすっかり飽きてしまっていたから、自分が読みたいものを自分で書くようになった、というのが一番動機としては近いと思う。

それ以前はいろんなものを乱読していたのだが、久しぶりに部屋の片付けなどするとそうした乱読時代に買った本がたくさん出てきて、塩野七生なんかは今ではまったく嫌いになったけど昔は良く読んだよななどと思い返した。嫌いになったのはこの人が完全に西洋史観に完全に没入した人で、かつ歴史認識にもいろいろ問題があるからで、要するに、司馬遼太郎のたぐいで読めば読むほど嫌になるタイプの小説を書くからである。しかしながら彼女のハンニバル戦記などは「エウメネス」を書く上で大いに影響を受けているには違いない。昔自分が読んだ本を、自分が書いた物の原点を再確認する作業のつもりで読み直している。宮城谷昌光『重耳』は割と好きで読んだが、改めて読んでみてやはり面白いと感じる。他には子母沢寛、陳舜臣、酒見賢一などを読んでいた。宮崎市定は手に入るものはほとんど全部買ってあるのではないかと思う。そうしたものを読んだ上で次第に平家物語とか太平記とか吾妻鏡とか六国史や伊勢物語なんかの、より古いものを直接読むようになっていった。

幸田露伴『努力論』を読んでみたがまったく面白くない。こういう校長先生のお説教みたいな本をよくもまあ書いたもんだとしか思えない。幸田露伴ってどこが面白かったんだろう?

森鴎外の短編はまあまあ面白い。改めて不思議な人だなと思った。というより、鴎外もまた普通の人だし、漱石は漱石で普通の人であっただろうし、露伴は露伴で普通に真面目くさった人だったのだろう。

アレクサンドロス大王のルートをたどるユーチューバーはいるか

世の中いろんな旅系ユーチューバーがいるが、だいたいにおいて、世界何十国回ったとか、現地に行って観光したけど歴史のことは知りませんって人が多い。ただもう無茶なところにいって無茶なことをしました、或いはただビール飲んで飯食いましたっていうようなものばかり。また世の中いろんな歴史系ユーチューバーがいるが、たいていは郷土史的なものであって、自分が住んでいる近くをうろうろする程度だ。旅系ユーチューバーであってかつ歴史に詳しい人、或いは、歴史的な出来事をたどって旅をするユーチューバーというものは案外いない。

たとえばアレクサンドロス大王東征記の経路をマケドニアから始めて、シリア、エジプト、インドに至り、バビュロンで終わる、などといった壮大な計画を立てて、緻密な現地調査をし記録しながら進めていく、などというユーチューバーはいない。いたとしてもそのルートは危険な紛争地帯をたどっていくから、その人はきっと全行程を踏破する前に死ぬことになるだろう。自分でやれと言われても無理だし、もし私が時間と金が有り余る若者であったとしても恐ろしくてやらないだろうと思う。もしこれを読んでじゃあ俺がやってやろうなんて考える人がいたら絶対お勧めしない。少なくとも私はまったく責任負えない。

他にもマルコ・ポーロやイブン・バトゥータの足跡をたどってみようとか、カエサルのガリア戦記の跡をたどろうとか、或いはハンニバルのアルプス越えとか、或いはアルプ・アルスラーンがアナトリアに入った経路をたずねてみるとか、まだある、バトゥやアッティラの経路をたどってみるとか、いろんなバリエーションがあると思うんだが、そんな動画に巡り会うことはほぼない。アフリカ大地溝帯からパタゴニアまで歩く、という企画も、ナショジオあたりで、エド・スタッフォードなんかがやってもよさそうなもんだが、どれもこれもなさそうだ。

だが、外国人ならばもしかしたらそういう人もいるかもしれないと思い、検索してみたが、そのものずばりな人はいない。しかしそれに近いことをしている人はいた。

冒頭、アイガイがどうしたこうしたとか言って、全然話が進行しないので、どうもギリシャ国内のアレクサンドロス大王に関連する土地を巡っているだけらしい。私が期待したような、ギリシャからバビュロンまで行ってみた、っていう動画では全然なかった。しかしこの人、他にもいろんなところに行ってるみたいだからしばらく観察してみよう。

雨の日は良い

浅草はふだんが混みすぎなので雨の日が良い感じにさびれていて、一八そばのある通りも、いつもより風情がある。君塚食堂もがらがらで店員のおばさんが三人、手持ち無沙汰にだべっているのもBGM代わりにちょうどよい。

たぬき。ここのおばさんはもう50年間この店で働いているというから働き始めは昭和50年、当時はすごく若い娘だったのだろうと思いながら眺めていた。

普段は忙しくて話もできないのだろうが、客が私一人だったので、けっこう話しかけられてうれしかった。この店は来やすいと確信した(お店の人があまりしゃべらない店だと、こちらから話しかけて良いのかわからず馴染むまでかなり時間がかかる。ワンオペの店だと特に馴染む前に気まずくなってしまうこともある。私はここにいていいのだろうかと)。あまり気兼ねしなくて良い、何しろ外から空いてるか混んでるか丸見えだから、忙しそうな時にはこなきゃ良いだけだ。テレビで何度も放送されているそうで写真を撮ってもかまわないとも言われた(私はあまりブログやツイッターなどで店名をさらさないほうだがここはかまうまい。ほていちゃんなどのチェーン店はかまわず記載している)。古態を留めた浅草を代表する店の一つだと言って良い。

浅草は雨の日に散歩するのも楽しいので、散歩用に雨合羽を買った。合羽橋には売っていなかったのでヨドバシで3000円くらいのを買うことにした。

ちなみにこの日、ほていちゃんは割と混んでいた。

追記: 浅草たぬきは、創業昭和20年とのこと。食べログには全席喫煙可とあるが現在は店内は禁煙になっている。