やまと

ヤマトという言葉なのだが、普通に考えれば「山戸」だろう。つまり山へ這い込んだ谷間のことで、ヤマトが縮まってヤト(谷戸)となったのかもしれない。

あるいはヤは八洲や八百万と同じく「八」(たくさんの)という意味か。トは水戸や江戸や瀬戸と同じく「戸」、つまり入り江という意味だろうと思う。ではマは何かといえば「まほろば」の「ま」であるかもしれない。だから漢字表記すれば「八真戸」となるか。だとすればヤマトという名は「大和」という内陸部に都ができるようになるずっと以前の名前であろう、海と関係のある名前であろうと思う。

ヤ・アマトがつながってヤマトになったのではなかろうかとも思える。アマトとはつまりアマノイハト(天の岩戸)のこと。天の岩戸というのは、具体的には、岩礁にうがたれた岩窟のようなものではないか。天の岩屋戸、天の岩屋、天の岩船みな同じ。宗像神社の奥津宮(沖ノ島)のようなものを考えても良い。アマトと母音で始まるとおさまりが悪いのでヤ・アマト、ヤマトとなったのではないか。東シナ海から瀬戸内海に続く多島海のことをヤマトと言っていたような気がする。つまり、ヤマトと八洲はだいたい同じ意味なんじゃないかとおもう。

あと、ヤマタのおろちのヤマタとヤマトの関連性は疑ってみてよいとおもう。ヤマタは単に山田かもしれんが。

邪馬台国はヤマト国であり、北九州地方にあったと考えるのが自然だ。

頭が重い

夜熟睡できてないのが一番の原因ではないかと思うが、起きていて頭が重いというか血が頭に回ってこない感じの時間帯がある。

これはもう寝るしかない。しばらく寝ていれば直る。

最悪なのは、電車の中で立っているときにこういう状態になることだ。

心臓の病気、飲んでいる薬のせいもあるかもしれないが年相応に身体にガタが来ているのだろうと思う。とにかく養生第一。

小林秀雄問題

文科省が読解力を問う国語入試を導入しようとしていて、たとえばこれまでは、小林秀雄の悪文を一部切り取ってきて、そのどうしようもなく論理的に破綻した文章を読ませておいて、その設問に対して間違いから一番遠いものを選べとか、最もあり得なさそうなものを選べとか、そういう馬鹿げた問題だった。ただしこのような問題は官僚や弁護士の事務処理能力を問う問題としてはある程度有効だっただろう。法律の条文と照らして正しいのかただしくないのか。多くの場合正しいと一意には決まらないから、もっとも正しそうなものを選ぶ、より正しく無さそうなものをより分けるという作業が必要になる。実にくだらない。おかげでくだらない文系人間を大量生産することになった。

漢文の問題もひどかった。どれが正しい読み下しかを問う問題があって、明らかに間違っているものもあるが、間違いとは言えないものが複数あり、素直に考えれば正解と思われるものは間違いであり、間違いとは言い切れないものが正解であったりする。その根拠というのは、作問中の他の部分の読み下し方に統一するならば、そのように読み下さなければならないから、だというのだ。漢文の基礎をきっちり学んできた者がひっかかり、漢文についてろくに知らなくても、設問の全体の雰囲気で一番確からしそうなものを選ぶ猿知恵に長けた者が得をする。まさにセンター試験的悪問。これでは、整合性のある読み下しをすることが漢文教育にとって重要だということになってしまう。まったく馬鹿げている。

こんな問題をずっと作り続けて、よくこれまで訴訟にならなかったものだ。

新しい問題は、複数の異なる資料(図、パンフレット、討議など)の組み合わせを提示して、そこから何らかの意見を記述させるという手の込んだものであって、「小林秀雄問題」とは対極にある。いわば企画立案タイプの出題だ。

せいぜいラノベとかBLとか村上春樹くらいしか売れないこの嫌な時代を矯正してもらいたいものだ。

共謀罪

「……田舎の県警なら昭和の任侠映画さながらにやくざと警察の泥仕合みたいな捕り物やってるじゃん、でも、東京のど真ん中じゃあもうそんな刃傷沙汰は廃れちまった。都下じゃ町田辺りでまだやってるがね。ほとんどは水面下の情報戦。僕らが「マルサの女」や「名探偵コナン」なんか見て喜んでるうちに、日本の反社会勢力は外国勢力と混血しつつ進化した。犯罪統計みてりゃ一目瞭然さ。殺人などの凶悪犯罪は激減した。しかし知能犯罪は増え続け、国際化し、ステルス化した。

で、佐々井は、我々がその名も知らぬシンジケートから、我々の知らないルートをたどって、報酬を得てるんだろうって推測できるわけ。」

「でも、それがほんとだとしたら、佐々井が得ている利益は国税局では把握できない。」

「そうなんだよ。みんなでわーっと踏み込んで、マルサ手帳と捜査令状見せて、でかいハサミでドアのチェーン切って、あちこちで一斉に家宅捜査して裏帳簿を押さえ、段ボール箱に詰めてトラックで押収とか、そんな時代がかったやり方は通用しないんだ、今の時代。テレビ局はいまだに国税局の強制捜査っていうと、そんな絵を撮りたがるがね。

これは『マリナ』に書いたことなのだが、共謀罪に反対しているのは、かつて全共闘とか中核派とかで暴れていた連中だと思うのだが、そういう連中の頭の中は昔の学生運動の時代から何も変わっていないのだろう。そして週刊誌で広域暴力団のドンパチの話なんかを読み、飲み屋のテレビ見ながら政治談義しておもしろがっているのだ。

推理小説、探偵小説、ミステリー、サスペンスなんかも多くはそういう古典的時代設定にとどまっている。まったくいつまでも大岡裁きじゃあるまいし。

『マリナ』は推理小説という形をとった推理小説批判でもあるのだ。というか、最初に死体が出てこないこの小説を推理小説だと思う人はあるまい。死体は最後にちょっとだけ出るのだが、最後まで死人が出ない小説を世間では「推理小説」とは思わないだろう。

現代のマイナンバー時代、共謀罪時代に即して推理小説を書こうというのであれば、推理小説というもの自体がまるきり変わってくる。ステルス化した名も無い国際シンジケートと闘わなきゃならないんだから警察もたいへんだよ。

ベルツの日記

岩波文庫の菅沼竜太郎訳のベルツの日記は、ドイツ語原文の匂いがまったくしない。おそらくこれは1974年に出た英訳をもとに、和訳したものだろう。

Baelz, Erwin. Awakening Japan: The Diary of a German Doctor. Indiana University Press (1974). Translated by Eden and Cedar Paul. ISBN 0-253-31090-3.

1931年にシュトゥットガルトでドイツ語初版が出版されたらしいのだが、それはかなりの部分が省略されたものであったらしい。では欠落のない、ドイツ語の完全版はどこで手に入るのかというと、そんなものは実はどこにも存在しないのかもしれない。

追記。岩波文庫版は1951年と1979年に出ている。

国連の方から来た人

あの、特別報告者の言っていることは、法律家だけあって、自分が国連から委任された範囲ぎりぎりで、ごく当たり前のことを言っている。

共謀罪にプライバシーを侵害するおそれがあることなど、誰にでもわかることだ。テロの捜査がプライバシーを侵害するのはむしろ当たり前ではないか。プライバシーを侵害せずにテロを捜査できるとでもいうのか。アメリカだろうとどこの国でもやっていることだ。
プライバシーを犠牲にしてでもテロを防ごうという趣旨で法律を作ってるわけではないのか。

だからこそこれは巧妙な嫌がらせなのであって、菅官房長官も外務省も怒っているのだ。
怒らずほっとけばよかったのだ。まあ相手にするなら「プライバシーを侵害する可能性がまったく無いわけではないが、総合的に判断して必要で妥当だ」とか適当に答えておけばよかった。

たった一人の「国連のほうから来た人」の書簡が、法案採決の前日に来てマスメディアがここぞとばかりに取り上げる。当然、野党が特別報告者とやらに煽らせているのだ。やいやい騒いでいる政党やメディアの顔ぶれを見れば瞭然だ。国連という肩書きを使った嫌がらせ以外のなにものでもない。国連を政争の具にするのは賢明ではないと思うが。

オリンピックのせいで法案成立を急いでるんだろ。オリンピックなんてやらなきゃいいんだよ。国連とかオリンピックとかそんなものに振り回されなきゃいいだけのことだ。

三ヶ月くらい完全に作品の世界に没入していると、元の世界が完全にスワップアウトされてしまい、
元の世界に戻れなくなってしまう。
通説を覆す作業を延々とやっているわけで、
つまり誰も信用しない、自分自身すらも信用しない、
すべてを疑い否定するということを、根を詰めて、三ヶ月もやると、社会復帰できなくなる。

たぶん、三ヶ月ばかり引きこもって他人と会わなかったりしても同じこと(社会不適合現象)が起きるのではないかと思う。

社会から切り離された生活をしていればずっとその状態にい続けることもできたかもしれないが、
私にはそれは許されてない。
ウミガメやクジラがときどき水面に出て来て呼吸するように、
ずっと潜りっぱなしで創作活動できるわけではないのだ。

だいぶ前から精神的に病んできたような気がしていたが、
病気や肉体的な衰えに加えて、やはり、こういう自分を狂気に追い込むような執筆スタイルが、
精神をさいなんでいるのだと思う。

町の中を歩くときは人と多少ぶつかっても気にしない能力が必要だ。
もしいちいち気にしていたら、気が狂ってしまうだろう。
人と交わって生きるとはそういうことだ。

「血統」だとか「封建制」だとか言うが、
実際には「血統」でも「封建制」でもなんでもないことを言っていることが多い。
というか「血統」だけですぱっと割り切れていれば問題は発生しない。
1の次は2で、2の次は3でと、
自然数の定義みたいにすべてが自動的に決まっている世界に問題が起きるはずがない。

漢文教育だが、『日本後紀』みたいな日本人が書いた漢文も読ませなきゃだめだろ。
古典には和文以外に大量の漢文や漢詩が含まれていて、
それが読めないと他人が現代語訳した文章しか読めないということになるが、それじゃ全然ダメだ。
ドイツ文学を和訳で読んでるのと同じだ。
google翻訳様がこの先どのくらい賢くなるかしらないが、
たぶん当分はダメだ。
『吾妻鏡』とか『読史余論』とか公家の日記とかがんがん読ませなきゃダメだ。

皇室典範増補中改正ノ件他三件審査報告

今回御諮詢の皇室典範増補中改正ノ件、皇族身位令中改正ノ件、皇統譜令中改正ノ件及び皇族ノ降下ニ関スル施行準則廃止ノ件につき、本官等審査委員を命ぜられ、本日十三日委員会を開き、宮内大臣及び関係諸官の弁明を聞いて、その審査を遂げたのである。

今、本案各件の要旨を述べれば、次の通りである。

第一 皇室典範増補中改正ノ件

皇室典範増補の現行規定によれば、王は、勅旨又は情願により、家名を賜い、華族に列せしむることあるべき旨を定め、臣籍降下の王の妃並びに直系卑属及びその妃は、内親王又は女王も、王とともに降下することとなるのであるが、王の直系尊属又は姉妹たる内親王又は女王については、婚姻に因る外、臣籍降下の途が拓かれていない。然るに終戦後の国情の変化により、あらたに、内親王及び女王についても、単独に、臣籍降下の途が拓かれるのを適当とする情況を生ずるに至ったので、ここに本件を以て(一)臣籍降下の皇族の範囲に、王の外内親王及び女王を加へ、(二)臣籍降下の内親王及び女王は、その親族たる臣籍降下の王の家に入ることが望ましい事情の存する場合も予想せられ、また、華族の制度は、日本国憲法の施行とともに早晩廃止せられるのであるから、臣籍降下の皇族に家名を賜い、華族に列せしむるの規定を除こうとするのである。

第二 皇族身位令中改正ノ件

本件は、前記の皇室典範増補の改正に伴うものであって、(一)皇族身位令の現行規定によれば、臣籍降下の皇族は、一家を創設することとなっているが、内親王及び女王の臣籍降下に当っては、一家を創設しないことが望ましい事情の存する場合も予想されるので、一家を創設する場合の外、臣籍に降下されたその直系卑属又は、その兄弟の家に入る途を拓き(第二十六条)、(二)同令の現行規定によれば、臣籍より入られた妃が、その夫を亡ったときは、情願により勅許を経て、実家に復籍することができるとなっているが、この場合においても、実家復籍の方法の外に一家創設又は直系卑属若しくは兄弟の家への入籍の途を設け(第三十四条)、(三)その他、同令の現行規則(第二十五条、第二十七条及び第三十条)に所要の整理を施そうとするものである。

第三 皇統譜令中改正ノ件

本件は、皇統譜令中臣籍降下の皇族についての皇統譜登録に関する規定(第三十一条)につき、皇室典範増補第一条の改正に伴う当然の整理を施そうとするものである。

第四 皇族ノ降下ニ関スル施行準則廃止ノ件

皇族ノ降下ニ関スル施行準則は、皇室典範増補第一条の規定を実際に施行するに当り、常例として依拠すべき準則であって、大正九年本院の御諮詢を経て裁定せられたものであるが、最近の国情と今後における皇族の地位に鑑み、変通の途が拓かれることの必要に考え、この際、本件を以てこれを廃止しようとするものである。

按ずるに、本案の四件中第一の件は、終戦後の国情の変化に伴い、皇子孫が累世皇族たるの主義に対し、広く変通の途を拓き、臣籍降下の皇族ノ範囲を拡張することを主眼とするものであって、事情止むを得ない措置と言わざるを得ない。爾余の三件は、これに伴って、関係規定を整理改廃しようとするものであって別に支障の廉を認めない。よって審査委員会においては、本案の四件は、いずれもこの儘これを可決されて差支えない旨全員一致を以て議決した次第である。

右審査の結果を報告する。

昭和二十一年十二月十八日

審査委員長

枢密院副議長 潮 恵之輔

審査委員

枢密院顧問官 林 頼三郎

枢密院顧問官 伊沢 多喜男

枢密院顧問官 関屋 貞三郎

枢密院顧問官 松平 恒雄

枢密院顧問官 西野 元

枢密院顧問官 林 毅陸

枢密院顧問官 柳田 国男(欠席につき決議に与からず)

枢密院議長 清水 澄殿

うつせみの このよのことを しるほどに わかかりしひは しらざれど しりにしのちは あぢきなく しなめしなめと おもへども いまだにいきて ただゑひて 日々をおくりて はるはきて いつかはしなむ いまこそしなめ

反歌

愚かなる 世に生まれけり 愚かなる 我が身に生くる かひなかりけり