今更ながら無料にしてみた

『棟梁三代記』なのだが、PVはある程度あるようだが、全然売れない。
パブーで人気の順位はダウンロード回数やお気に入りなどによって決まるようだが、
純文学などは無料公開のものが多く、このままでは埋もれるばかりだ。
それで『棟梁三代記』の方は、無料にしてみた。

で、ついでに自分で解説してみるのだが、本来ならば著者の解説なしに読んで楽しんでもらうように書いたのに違いないのだが、
私の(歴史)小説の場合、まじめに解説しようとすると本文よりも解説の方が長くなりそうなものが多い。
或いはほんとうは他人に解説してもらいたいのだが、いつまで待てば良いかもわからんから、
もうとっととやってみる。
まず、棟梁三代というのは、頼朝・頼家・実朝の鎌倉三代将軍のこと。
最初に出てくる「まさ子」というのは北条政子のこと。
他にも範頼と、実朝の妻の坊門信子が出てくる。
頼家の次男の公暁と、四男の禅暁も出てくる。
これらはみな一人称で、それぞれが物語るという形になっている。
この一人称で群像劇っぽいやつは、他にもやったことがあるが、
子母沢寛『新選組始末記』のオマージュだと思ってもらえば良いと思う。

鎌倉や箱根、修善寺などを観光してみて、吾妻鏡など読んでいると、ついこういう話を書きたくなると思うのだが、
案外ないものだよな。
さらに、頼朝や実朝の小説はたくさんあるかもしれんが、頼家について書いたものはあまりない。
なので、私の話では逆に頼家の部分をややふくらませて書いてみた。
京都で暮らす坊門信子を、将軍を辞めさせられた宗尊親王が訪問して、昔語りをするという形で最後をしめている。
これもやや珍しいだろう。
また、実朝の歌

> もののふの 矢並つくろふ 小手の上に あられたばしる 那須のしの原

に新しい解釈を加え、偽の歌(つまり私が実朝の歌として詠んだ歌)

> 武蔵野や 名越えの関を こえもみで はるけくしのぶ 雪景色かな

を付け足したりした。
実朝の歌か、私の歌か、用心して読まないとだまされますよ(笑)。
いや、そもそも「もののふの」の歌は、実朝の実作かどうかも疑わしいのだが。

北条政子が本当に温泉好きだったかは定かではない。
政子が尼将軍として活躍するのは実朝が死んだあとの承久の乱だが、そこは書いてないし、
頼朝の活躍についてもほとんど何も書いてない。
そういうのは、すでに多くの人が小説にしているからだ。

ああ、あと、富士川の戦いを、将門の乱と対比して、解釈してみたりもしたよ。
北条政子が詠んだ歌

> 濁れるも 澄みて清きも 色濃きも 泡立ちたるも 湯はみなよろし

> 海に入り 川に流れて 出づる湯の 尽きせぬ国か やまとしまねは

これも偽物、つまり私が詠んだ歌。頼家や政子の和歌というのは、たぶん一つも伝わってない。
ちなみに、「濁れるも」は元は酒の歌だったのを少しだけいじったのだ。

> 濁れるも 澄みて清きも 色濃きも 泡立ちたるも 酒はみな良し

最初考えていたタイトルは『まさ子の温泉大好き』だった。これは三田寛子が昔、
わらっていいともでやっていた、「寛子のおかし大好き」にちなむものだった。

実朝が「京都の師匠」と言っているのは藤原定家、最近出た歌集というのは新古今集、「あの方」と言っているのは後鳥羽院のことだ。

フロイトの集大成

フロイトというのは、いわゆる一種の奇人・変人のたぐいであると思う。ディオゲネスやニーチェを哲学者というのと同じ意味でフロイトを哲学者というのは当たってるかもしれない(どんな人間を哲学者というべきかを私は知らない)。
しかし、マックス・ウェーバーのような意味でフロイトを学者と言うのはどうかと思う。
しかし、アトン信仰と、ヤハウェ信仰、そしてモーセとの関係を発見したことを見るに、彼が単なる妄想家ではなく、優れた直感力の持ち主だったと、評価できる。それで『モーセと一神教』という本だが、モーセともイクナートンとも関係ないことが、大量に、ごちゃごちゃと書いてあって、正直うぜーとか思っていたのだが、改めて読み直すと、それはそれなりに面白い。特にこれが、1934年以降1939年まで、ヒトラー政権が誕生して、ユダヤ人であるフロイトがイギリスに亡命した、最晩年に書かれているということを勘案して読めば、それなりに楽しめる。フロイトはオーストリアの人だが、1938年3月にヒトラーがオーストリアを併合している。『モーセと一神教』の前半部分はそれ以前に書かれているが、途中から、明らかに、文章が混乱し緊迫しているのがわかる。

彼は、なぜユダヤ民族が迫害されるかということを、彼なりに分析している。

彼は、人類は先史時代からずっと、何千年も何万年も、父親殺しを続けてきたと主張する。アッカド王国のサルゴン王の伝説に類似する、さまざまな神話の例をあげて。父親と子供は殺しあう、強い子供が父親を倒して自らハーレムの主となる。近親姦忌避と部族間婚は、遺伝的有害性に基づくのではなく、父子間の闘争に由来するとさえ言う。そして、モーセやイエス、その他の預言者はユダヤ人によって殺されたが、それは人類の父親殺しの習性を受け継いだものである。つまりメシアというのは自分の民族に殺される。そしてユダヤ人もまた人類に迫害される。そういう理論になっていて、もはやそこでは、モーセとアトン教の関連などという主題は、放置されてしまっている。ま、ともかく、『モーセと一神教』は彼が生涯展開してきた理論の集大成になっていて、特に『トーテムとタブー』という1913年という初期の理論の発展形として提示されていて、正直うざいが、まあすこし面白い。

Portal2

[Help Portal 2 Release Early!](http://www.aperturescience.com/glados@home/)

わからん。
なぜポテトを買うと Portal 2 のリリースが早まるのだ。
ただのジョーク or 広告だよな、これ。
或いは、スタッフの励みになって、一生懸命リリースを早くしてくれるということだろうか。

つか、Portal2 のリリースを待ちわびてる人が周りにあまり居ない件について。

だいたい、あと、二日くらいでリリースされるようだが。

ヤハウェと火山

フロイトは、ヤハウェは明確に火山神だと言っているのだが、エジプトにもシナイ半島にもパレスティナにもシリアにも火山はなく、この付近で唯一火山があるのは、アラビア半島西部、およそメディナの辺りだ。

2009年5月25日に、サウジアラビアのアルアイス地方で、群発地震が起きて、火山が噴火する可能性があるので、住民が避難した、ということがあったらしい。アラビア半島には休火山しかなく、有史以来、噴火したという記録はほとんど見られないようだ。しかし現代でも住民が避難するくらいだし、噴火口跡はたくさんある。3500年くらい前に実際に噴火があってもおかしくはないわけである。海(アカバ湾?)が割れる(たとえば地震による津波)くらいの天変地異があってもおかしくない。

ヤハウェの記述は明らかにアドナイとは別のものであり、この二つの神が融合してイスラエルの宗教になったのだろうと、フロイトは言う。さらに、イスラエルの12氏族のうち、モーセやアロンなどの指導層が属したレビ族は、後の時代まで氏名がエジプト語由来のものが混ざることから、エジプト人そのものであり、ユダヤ人ではないのだという。古代エジプト語とヘブライ語はそうとう遠い言語であるから、この二つの民族は、最初、言葉が通じていなかった可能性が極めて高い。

レビ族なるアメンホテプ4世の一族のエジプト人(彼らは、宗教改革に失敗してエジプトを追われた)が持っていたアトン信仰と、アラビアの火山地帯に居住していた(もしくはたまたまエジプトに寄留していた)と思われるユダヤ諸族のヤハウェ信仰が、合わさってできたものが後のユダヤ教なのではないか。かつ、アトン信仰というのはおそらくシリアのフェニキア人のアドニス信仰に由来するのだろう。

句点省略の異同について。

しつこくもまだ調べている。
中島敦『斗南先生』で比べてみる。
一つは「ちくま文庫」の『中島敦全集Ⅰ』。

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。

省いてない。
次に集英社文庫『山月記・李陵』の同じ箇所。

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている」と言い出した。

省いている。奥付には底本は筑摩書房『中島敦全集』とある。
もひとつついでに青空文庫の当該箇所、

> 「これから床屋へ行って来る。今、道で見てきたから場所は分っている。」と言い出した。

省いてない。底本は岩波文庫、親本は筑摩書房『中島敦全集Ⅰ』とある。
ま、ともかく、ある程度の「書式の修正」が加えられることがあるわけだから、
用心しないと、もともと著者が省いていたのか、校正で省かれたのか、わからぬわけだ。

集英社文庫は他の箇所も徹底的に省いている。中島敦という人は面白い人で、省いたり省かなかったり。
律儀に必ず省くとか省かないとか決めずに書いている。
それにはある種の法則性というかポリシーがあるのだろうと思うし、実際、私もそんな書き方をしているように思う。

ふと気づいたのだが、

> その「お髯の伯父」(甥たちはそう呼んでいた。)の物静かさに対して、上の伯父の狂躁性を帯びた峻厳が、彼には、大人げなく見えたのである。

のように、丸括弧の最後に句点を打っている箇所がある。なるほど、ここは打ちたくなる箇所ではあるが、私なら打たないだろうと思う。

丸括弧の最後の句点の省略について。

たとえば、

> 私はこれこれと思った(たいへん困ったことではあったが)。

とは書くけど、

> 私はこれこれと思った(たいへん困ったことではあったが。)。

とは書かない。たぶん、英文でもそうだ。
丸括弧の場合には、センテンスの中にセンテンスが埋め込まれた形になり、
どちらも独立したセンテンスであるから、最後に句点なりピリオドを打つのが理屈しては正しいが、
句点が二つ並ぶのはいかにも目障りだから、括弧の中の句点を省くのであろう。

しかし、セリフに使うカギ括弧の最後の句点を省くのは、やや意味が違う。
昔、小学生の頃、句点と閉じカギ括弧を原稿用紙の同じマスに書くよう指導されたことがあるような気がする。
複合した記号のように解釈していたということかな。

まれには、

> 私はこれこれと思った。(たいへん困ったことではあったが)

とか

> 私はこれこれと思った。(たいへん困ったことではあったが。)

と書くこともあるかもしれん。あまりよろしくはないが。

句読点の省略と新聞社について

思うに、夏目漱石が最初に作品を発表したのは朝日新聞であり、森鴎外は読売新聞だ(追記: 漱石が最初に小説を発表したのはホトトギス、明治38年。鴎外が小説に関する論文もしくは戯曲の翻訳を発表するようになったのは読売新聞で明治22年、最初の小説『舞姫』を発表したのは国民之友)。司馬遼太郎ももとはと言えば産経新聞の社員。このように、新聞社関係の人間は、カギ括弧の終わりの句読点を省く傾向がある。

一方、永井荷風や中島敦らが最初に活動したのは文芸誌か同人誌であろう。

新聞社では活字を節約するために、句読点の省略ということをやった可能性が高い。せこいが年間で0.何パーセントか、コストを削減できたに違いない。逆に文芸誌や同人誌などは、たかだか句読点の一つや二つ省いたからと言って、採算がどうこうなるというわけではなかっただろう。学者の文章というのも、やはり、句読点を省かなかったのに違いない。

子母沢寛も松本清張ももとはといえば新聞社の人間である。そして、新聞社というは、影響力が大きいものであって、そのために句読点が省かれるようになった、また、みながそれを真似するようになった。

そんな気がする。

もしそうだとすれば、今の時代に句読点をいちいち省略するのは、ばかげたことだと思う。

『墨東綺譚』を読むに、やはり句点は省かれていない。「そうか。」「今晩。」「ご存じ。」など、短い会話文でも、かならず、省略しない。短くても改行する場合が多いが、いつもではない。朝日新聞に掲載されているが、永井荷風は当時すでに文豪だったから、句読点を削られるようなしうちはなかったのに違いない。やはり、初期の頃の執筆の癖というものが、その後もずっと残り、途中で変わることはない、と考えるのが自然だろうよ。

追記。文芸作品に限れば句読点を省くか省かないかなどということは些細なことかもしれないが、新聞に掲載するのは文芸だけではないから、活字の節約ということは大きな意味がかつてはあったに違いない。文体も簡潔にし、改行もできるだけしない、などということがあったかもしれない。

『墨東綺譚』は最初私家版だったらしい。

アドンとエデン

昔、けっこう一神教の起源について書いたことがある。一神教の起源アトンYHWHアドニヤモーセと一神教文献メモ、などだ。状況証拠的に考えて、アメンホテプ4世の時代のアトン信仰と、出エジプト時代のイスラエル人の宗教に、何の関連性もないと考える方がおかしいのであって、あとはどうやってその連続性を立証していくかという作業があるにすぎないと、私は思うよ。それで、そういう話がどうしてあまり広まらないかと言えば、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒もいずれも、自分たちの宗教のオリジンが、古代エジプトにあるとは、あまり考えたくないからだろう。ただユダヤ人の(無神論者の)フロイトだけが、勇気を持って、その説を主張したのだ。

それで、フロイトが書いた、『モーセと一神教』という本があって、私はそれにすべては書き尽くされていると思ったのだが、フロイトが指摘してない、まだ新しい関連性を発見した。というのは、クアルーン(コーラン)では、エデンのことを「アドン」と言っているということだ。アラブ語はヘブライ語と同じセムハム語系の言語であって、同語源であると言える。それで、ヘブライ語では「主」のことを「アドナイ」という。これは「アドン」の複数形である。神の名は一人でも複数形となるのは、あちらの言語ではわりと一般的である。たとえば神の一人称はWeである。「アドン」「アドナイ」は「アトン」とほぼ同じ言葉であるというのはフロイトの発見だ。そして「アドニス」などとの関連性も、フロイトは示唆している。アドニスはギリシャの神だがもともとはフェニキア人の神であり、フェニキア語はやはりセム語系だ。アメンホテプ4世の別名「イクナアトン(アクエンアテン)」とは「アトンに愛される者」という意味だ。

それで今度はエデンという語の起源をウィキペディアなどで調べてみたけど、これが恐ろしく古い。アッカド語、もしくはシュメール語で「園」もしくは「平原」という意味らしいのだ。ちなみにヘブライ語でエデンは「快楽」という意味らしい。また、ギリシャ語ではパラデイソス、つまりパラダイスと訳される(いかにもギリシャ語語源な語だわな)。いずれにしても「天国」とか「神の国」と言う意味だよ。だけれどまあ、もしエデンとアドンが同語源ならば、一神教はシュメール時代までその起源がさかのぼれることになるよ。どうよ。

エジプトという多神教の世界にいきなり一神教が、忽然として、生まれたというのはやはり無理があり、それはどこか別の世界からもたらされた、たとえば、アメンホテプ4世の王妃がミタンニ王女ネフェルティティであったという説があり、メソポタミア地方に、原初的な一神教が古代から伝わっていた、と考えるのが、やはり自然ではなかろうか。いや、むしろ、異国の地の神が土着の多神教のエジプトに導入されたときに、他の神から阻害され、切り離された存在となって、それが先鋭化して一神教という形になったのかもしれんわな。山本七平が言う、「オリエントの専制君主制が宗教化したもの」ではあるかもしれないが、さらにはそこで、専制君主が多神教社会の中で宗教改革を断行しようとした結果、外来の、異邦の一つの神が、絶対化されて、一神教が生まれたのかもしれん(当時のエジプト王がいわゆる「専制君主」といえるかはわからん。神官の長のような権威的存在だったかもしれんし)。とかく、宗教改革というのは、一つの神に権威を集中させ、他を排斥しがちなものであり、いわば、宗教改革というものが、一神教を生み出した根源的な原因かもしれん。その歴史的な最初の例がアメンホテプ4世だったのではないか。

くどいが、一神教だから宗教改革に発展したのではなくて、宗教改革の結果、一神教が生まれたのではないか。

ミタンニは印欧語族だという。エデンの園が東の方にあったというのは、ミタンニ王女の国がエジプトの東方であったことを意味しているのかもしれんよ。