亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

古典ギリシャ文字の入力の仕方

01.31.2017 · Posted in 雑感

ギリシャ語を入力する方法

子音

  • ς ← w
  • ρ ← r
  • τ ← t
  • θ ← u
  • π ← p
  • σ ← s
  • δ ← d
  • φ ← f
  • γ ← g
  • ξ ← j
  • κ ← j
  • λ ← l
  • ζ ← z
  • χ ← x
  • ψ ← c
  • β ← b
  • ν ← n
  • μ ← m

母音

  • α ← a
  • ε ← e
  • ι ← i
  • ο ← o
  • υ ← y
  • η ← h
  • ω ← v

長母音

  • ᾱ ← -a
  • ῑ ← -i
  • ῡ ← -y

有気音

  • ἁ ← *a
  • ἑ ← *e
  • ἱ ← *i
  • ὁ ← *o
  • ὑ ← *y
  • ἡ ← *h
  • ὡ ← *v
  • ῥ ← *r

無気音

  • ἀ ← :a
  • ἐ ← :e
  • ἰ ← :i
  • ὀ ← :o
  • ὐ ← :y
  • ἠ ← :h
  • ὠ ← :v

重アクセント

  • ὰ ← [a
  • ὶ ← [i
  • ὺ ← [y
  • ὲ ← [e
  • ὸ ← [o
  • ὴ ← [h
  • ὼ ← [v

鋭アクセント

  • ά ← qa
  • έ ← qe
  • ί ← qi
  • ό ← qo
  • ύ ← qy
  • ή ← qh
  • ώ ← vh

曲アクセント

  • ᾶ ← @a
  • ῖ ← @i
  • ῦ ← @y
  • ῆ ← @h
  • ῶ ← @v

下書きイオタ

  • ᾳ ← `a
  • ῃ ← `h
  • ῳ ← `v

無気+鋭

  • ἄ ← /a
  • ἔ ← /e
  • ἴ ← /i
  • ὄ ← /o
  • ὔ ← /y
  • ἤ ← /h
  • ὤ ← /v

無気+曲

  • ἆ ← ^a
  • ἶ ← ^i
  • ὖ ← ^y
  • ἦ ← ^h
  • ὦ ← ^v

分離

  • ϊ ← +i
  • ϋ ← +y

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ベーシックインカム

01.26.2017 · Posted in 雑感

ベーシックインカムというのは、これまで以上に社会保障を厚くするとか社会福祉国家に突っ走るというよりは、逆に、 これまで政府がやってきたいろんな福祉やらなにやらの仕事を全部個人に丸投げするというやり方だわな。 だから社会主義というよりは自由主義と相性が良い。

最低賃金もなくしてよい。 国や自治体は医療費負担しなくてよい。 年金制度もいらない。 どうしてもそっちのほうへいく。

政府は外交と、治安と、国防と、収税。道路・治水などの社会インフラ。 ま、そういう必要最小限度の機能だけ持って、あとは個人に「基本的人権」を維持するのに足る最小限の金をばらまけば良い。 非常にコンパクトな政府になり得る。

で、ベーシックインカムがこれまでうまくいかなかった一番の理由は納税の問題だと思う。 国民なのか国民ではないのか。 税金払ってるのか払ってないのか。 それが曖昧なままではベーシックインカムはただの慈善事業になっちゃう。 全国民の収入と納税が完全にガラス張りになっていて初めてベーシックインカムが機能する。 日本もやっとマイナンバー制度が始まって、 まあほとんど100%所得が把握されちゃうことになったから、 ベーシックインカム始めてもいいかなくらいまできた。 でも、ベーシックインカムは寄こせ、年金は払いたくないがよこせ、医療費は自治体が負担しろ、でも税金は払いたくない、最低賃金は守れとか、 所得は知られたくないとか、そういうことを言ってくるうざい連中がまあたくさんいて、 弱者救済ビジネスとか政治団体とかがまだまだうじゃうじゃいる。 ベーシックインカムが必ずしも弱者救済ではなく、 かつ、 弱者を装った反社会勢力の救済には一切ならないこと。 ま、これが明らかになれば彼らは反対してくる。 こんなのほんとの福祉国家じゃないとか。社会主義とか共産主義の理想から逸脱してるとか。 誰が反対するかで、誰が反社会ビジネスに荷担しているかが見えてくるわな。

ベーシックインカムは機能し得る。 それは理想的な共産主義社会に非常に近いものだ。 今後ロボットや人工知能が普及すればさらに労働力は余ってくる。 労働者が余ると、労働市場というものが存在し、労働者が労働市場に依存する限りにおいて、 需要と供給のバランスで、労働者は困窮せざるを得ない。 社会がいくら豊かになっても、労働力に余剰がある限り、労働者は幸せにはなれないのだ。 だから働きたくない人、働けない人、働く必要のない人は積極的に、働かせないようにしなきゃいけない。 人間は働かなきゃいけないというのも近代の幻想にすぎない。 今の教育は将来子供たちを労働者にして労働市場に投入して、労働市場に依存させるためのものだ。 これじゃ労働力の過剰供給になる。 資本主義社会が悪いのではない。 労働市場が悪いのだ。 労働市場は社会主義国家にもあった。 だから結局社会主義国家は労働者を救えなかった。

食料は余りつつある。むしろ人類の多くにとって肥満のほうが問題だ。 戦争は減りつつある。むしろテロのほうが問題だ。 テロはベーシックインカムで防げる。 国家に属さない、税金を払わない無法者がテロリストになるが、 所得をガラス張りにすればベーシックインカムあげるよと言えば、 普通は嫌とはいわない。 そしてとりあえず彼らを飼い慣らすことができる。 国家の枠組みにいれちゃうことができる。 仲間がひよっても、自分一人だけでも戦い続けるぞなんてやつはまずいないからどんどん雪崩をうってごく当たり前の市民になっちゃう。 そうするとテロリストがそもそもいなくなる。 食料があまり、戦争もテロもなけりゃ、人間のやることはますます減る。 ただ遊んでいればいい。 そして働きたい人、高収入が得たい人、自分の才能を試したい人、趣味で働きたい人だけが働く。 そうなると、労働市場は自然と均衡してくる。 人間は生きているかぎり消費するし、消費があればビジネスは生まれる。 ビジネスがあればなんらかの形で税収がある。 税収があればそれをベーシックインカムに使えばよい。

ま、そういう社会の仕組み、お金の循環というものが、昔から人が夢想してきた、理想的な共産主義社会というものじゃないのかね。 マルクスの予言が成就した社会ということができるのではないか。

だからまあ、もともと政府が弱体で、人口が少ない、エストニアみたいな国が、 完全なマイナンバー制度の完全な電子政府を作って、 社会保障は全部ベーシックインカムで済ませちゃう。 そういうところがまず成功するだろうと思う。 日本みたいに政府が肥大するだけ肥大しちゃって、 弱者救済ビジネスが高度に発達してしまった社会の場合、 その余剰を削るのに一苦労だ。

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01.23.2017 · Posted in kindle

私の書いたものの中で、 KENP が一番多いのは明らかに『潜入捜査官マリナ』だ。

売れているのは『エウメネス』シリーズだが、 KENP はそれほどでもない。

『妻が僕を選んだ理由』と『新歌物語』は無料配布なので、 この二冊は、長期的にサブジャンルのランキングに露出するためのものなので、 売れ方というのはよくわからない。

全然まったく読まれても買われてもいないのが 『特務内親王遼子』、『安藤レイ』、『アルプスの少女デーテ』、『司書夢譚』、『巨鐘を撞く者』あたりで、 『スース』、『西行秘伝』、『斎藤さんアラカルト』などもほとんど読まれない。 その他の歴史物はたまに読まれる。

『紫峰軒』もなぜかときどき読まれる。

なぜなのか。

『潜入捜査官マリナ』のKENPが多いというのは途中でやめずにわりと最後まで読んでくれたということなのだろう。 続編を書いてみようかなという気になる。

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01.22.2017 · Posted in 読書

いろんなことがいわれているが、 ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、 その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、 逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、 どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。

タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、 文芸の「芸」とは異質なものであり、 彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。

でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。 そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。

名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、 証明できないではないか。 私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。 しかし見て死ななくてもいい。 死んだ後に証明されればそれでもいい。 生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。 本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、 そんな本書いても時間の無駄だと思う。 人生はもっと有意義なことに使いたい。

もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。 誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。 だからマーケティングがいかんとは思わない。 三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。

某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、 その証明をしていない。 十分ではない。 メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。

そのためには、一発屋でもありたくない。 私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、 どこが優れているかということを分析した上で認められたい。

私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。 前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。 だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。

今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、 たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。

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移植

01.22.2017 · Posted in 学問

  • Autotransplantation 自己移植。自分自身への移植。火傷したときの皮膚移植、手術にそなえた貯血、自分の骨の一部を他の場所の失われた骨格り利用するなど。
  • Syngeneic transplantation 同遺伝子的移植。同じ遺伝子を持つ(或いは、ほとんど同等の遺伝子を持つとみなされる)ものどうしの間の移植。一卵性双生児の間の移植など。
  • Allotransplantation 同種移植。種は同じだが異なる個体間の移植。他人への臓器移植、輸血など。allograft、allogeneic transplant、homograft。
  • Xenotransplantation 異種移植。異なる種の間の移植。

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01.17.2017 · Posted in 雑感

新宿西口、ヨドバシカメラ、時計専門店。 ここは良い。なかなか良い。 ヨドバシも並行輸入ものとか逆輸入ものの時計をたくさん売ってるってことを初めて知った。 普通の時計屋にはあんまりないよね?

で、これがレディースだとは思えないんだよね。 現物も見たがとてもすばらしい。

セイコー・プレザージュ(プリサージュと読みたいところだが。フランス語読み?)。 まあ、今度買うとしたらこれだな。

メンズとレディースだが、デザインというより、単に大きさで区別してるように思えてしかたない。 これなんてどこがレディースなのかというデザインだ。 敢えて言えば中性的なデザイン。

機械式だど、時計の盤面の直径が 35mm くらいなのがレディース、 40mm くらいなのがメンズ、そう呼ばれているだけのような気がする。

多針アナログにも一時期あこがれたが、これは飽きる。絶対飽きると思う。

スマホを持ち歩けば時計に正確さを求めなくてよい。 むしろ毎日ねじを巻いたり時刻合わせをするわずらわしさのほうが楽しくなってくる。

ソーラーも暗いところにおいとけば止まるし、 電波時計も地球上どこでも動くわけではない。 いろいろ勘案すると、実は、良く出来た機械式の腕時計を所有することには、 それなりの、リスク回避の意味がある。

ロレックスも見た。たしかにロレックスはすばらしい。 しかしセイコーも良い。セイコーの飾りっ気のなさが良い。 でも葬式用の時計なんて買いたくない。 なんかメカニズムの色気は欲しい。でもあまりこてこてしたりわざとらしいのはいやだな。

グランドセイコーである必要はないと感じる。

ルキアは女物だが割と好き。かなり中性的なデザインのものもあって、そっちを選びたくもなる。

スケルトンは背面だけで良いと思えてきた。

プレザージュ、レディースで、皮バンドで、重さが 80g くらいで、厚さは 1mm くらいで、 直径が 34mm くらいのが良いが、ちょうどなやつがない。 軽くて薄くて小さいのが良い。

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01.17.2017 · Posted in 雑感

縄文人のセックスを笑うな

うーん。 まず、古代には近親婚は普通だったはずだ。

エジプトやペルシャの王族なんて兄弟姉妹で普通に結婚している。

古代日本でも神話なんかみるとそうだったように思われる。

生物学的に見ても、近親婚は普通だ。

でまあ、近親婚の弊害というのは、王族みたいに先祖代々近親婚を続けるような場合に起こる、つまり、 家系図のような先祖の記録をもっている家系で起きるのであり、 例えばハプスブルク家みたいにもうずーっといとこどうしで結婚しているような場合に起こるのであって、 普通の家だと、数代遡ればもう誰が親だからわからなくなるから、 血統が近くなりすぎる弊害が実際に起こるとは思えない。

フロイトなんかが考察してるけど、 ハーレムを形成する場合、つまり一人の男が多数の女を独占する状況では、 女子はハーレムに留まり、男子は強制的に独り立ちさせられる。 それがイクソガミー(外婚制)、トーテミズムの起源だとフロイトは言っていて、 もしそうだとすれば、イクソガミーはもともと近親婚を前提としているのである。

あと、縄文時代のほうが栄養状態が悪い、というのは明らかに間違った前提だ。 縄文人のほうが体格も良いし身長も高い。 農業に頼らず、狩猟で肉食メインだった証拠だ。 だから、女子は初潮がきたらすぐにセックスして妊娠し子供を産んだはずだ。

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インターステラー

01.14.2017 · Posted in 映画

インターステラーみた。

オチが少し面白いかな。 はるか未来の人類が五次元に進出してとかいうあたりが反則技っぽいけど。 まあ見ても損はない。

マン博士役が火星の人だった。

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今敏

01.14.2017 · Posted in アニメ

今敏の劇場版アニメ4作を全部見終わったので、感想を書いておく。

今敏監督が原作も書いた『千年女優』と『東京ゴットファーザーズ』はやっぱ雰囲気似てるのよね。 『パーフェクトブルー』『パプリカ』はやっぱり原作の骨が残っていて、 『パプリカ』はかなり勝手にいじったっぽいが、 筒井康隆原作だと言われればなるほどそうかと思わせる。

しかし『パーフェクトブルー』は原作もしくは脚色の原型がかなりそのまんま残っている感じで、 監督はもちろんアニメーションの部分はコントロールしてるわけだが、 今敏監督以外の要素がかなり濃厚だとみた。 いろんな伏線も後でちゃんと説明されている。 演劇と現実がちゃんぽんされているのでわかりにくいが、 全部見終わってみると、どこがドラマで、どこが現実で、どこが夢か妄想か、 というのがわかるようになっている。 竹内義和というサイコホラーの作家がきちんとサイコホラーを書いているからだと思う。 ごまかしがない。 もしかすると原作はもすこしストレートな話で、 それをアニメ化するにあたって少し謎解きをひねったのかな。 原作は入手困難のようだが、アマゾンの作品解説とか読むと。

『千年女優』もやはり演劇と現実をちゃんぽんにした作品で、 単なる劇中劇ではなくて、劇の中に劇を入れ子にしてさらに相互に絡めたりして、 『パーフェクトブルー』の延長線上にあるわけだが、かなりファンタジー色が強い。 一応最後までみて、ヒロインの回想や妄想がファンタジー仕立てになっている、 ってことはわかるんだが、 『パーフェクトブルー』みたいに緻密ではない。 理屈でちゃんと説明できない要素が多い。 かなり迷走している。 ヒロインが一目惚れした男を一生追いかけ続けるという設定も少し無理があると思う。

『パーフェクトブルー』と『千年女優』を見た筒井康隆が今敏に『パプリカ』のアニメ化を希望したというのはあり得る話だと思う。 『パプリカ』ではこんどは夢と現実が入り交じる。 これもストーリーはほとんど破綻しかけている。 映像のおもしろさで強引にまとめている。

『東京ゴットファーザーズ』は一種の群像劇なんだけど、 ストーリーがご都合主義すぎて、何でもアリな展開で、途中でついていけなくなる。 今敏という人が、自分でストーリーまで作ってしまうと、こういう浪花節的なものになってしまうのだろうか。

でまあ、映像的には『パプリカ』がやはり一番すごい。 でもまあこれは監督一人の力というよりはマッドハウスのスタッフがすごいんだろうと思う。

『パーフェクトブルー』は映像以外の部分は今敏の作品とは言いがたいが、 完成度は一番高いと思う。

『千年女優』はまあまあ。

『東京ゴッドファーザーズ』は映像のおもしろさはもちろんあるのだが、 あまり評価できない。

今敏 はコメントを受け付けていません。

01.13.2017 · Posted in 雑感

社会運動なんかやっても無駄だという感覚と、社会運動はどんどんやろうという感覚は、表裏一体なわけよね。

私の場合、社会問題にしてもらいたいことってのは、犬の無駄吠えうるさいとか、 ペットショップは虐待だとか、 戦闘機うるさいとか、 新聞配達のバイクうるさいとか、 空調うるさいとか、 喫煙者いなくなれとか、 パチンコなくそうとか、 通勤ラッシュ死ねとか、 自転車二人乗り死ね(アニメによる表現を含む)とか、 マスメディアの偏向報道死ねとか、 そういうことなわけだが、

世の中の社会運動ってだいたいは反原発とか沖縄基地問題とか憲法第九条とかじゃん。

まあやる気なくすわな。 そこでやる気なくさなかった人がむりやりつっぱしった先にあるのが社会運動だわな。

たまたま個人の欲求と社会全体が向いているベクトルが完全一致した人がいて、その人にカリスマみたいなもんがあれば、 その人は意識せずに社会運動できるのかもしれんが、そんな人はまあいない。 一般大衆というものにはベクトルはない。そろわない。

市民の声なんてものはだいたいはばらけているものだが、それが一方向に向かえば市民運動、社会運動になる。 実際には市民の声なんてそろわない。 何かやらせがある。 犬やペットショップが好きな人が多いからその規制には向かわない。 たばこやパチンコが好きな人が多いからなくならない。 エアコンがうるさいくらい平気な人が多いから、エアコンはいつまでたっても静かにはならない。

人がばたばた死んだりしないかぎりふつう自発的な社会運動はおこらない。 でも社会運動はよくおこっている。それはやらせがあるからで、 やらせを専門職とする人がいるからよね。

読者の購買意欲とかも本来はそろわないものだが、 それをそろえちゃう仕事もあって、それはふつうに営業とか広報とかマーケティングなどという。

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